カラヤンの喜歌劇「メリー・ウィドウ」を聴いて思ふ

lehar_lustige_witwe_karajan曇り、淀んでいたものがすっきり明けたような春。
春の陽気はいつも素晴らしい。
「メリー・ウィドウ」第2幕冒頭「ヴィリアの歌」~「さあ、故郷に帰ったつもりで」が鳴る。明朗でありながらどこか哀愁に満ちる。

アドルフ・ヒトラーが愛好したというこのオペレッタは、どこをどのように切りとっても魅力的な旋律に溢れる。何をもって総統の好感を得たのか知らないが、かつてのドイツ第三帝国では頻繁に上演されたらしい。古き良きヨーロッパの象徴のような音楽の宝庫だからか、2組の「大人の恋」を扱ったコメディゆえ害なしと判断したからか・・・。

ベラ・バルトークが息子ペーテルに宛てた晩年の手紙は、いずれも彼の几帳面さと優しさを示しており、実に興味深い。戦時の故郷を想う心情と、妻ディッタや息子への愛に満ちる貴重な資料だろう。

5年間、私は心の中で祈り続けた。あの血に飢えた野獣どもが藻くずと消えるまで生き長らえたいと。それは実現したが、状況はこの通りだ。あまりに遅かった・・・。こうなったのは孤高のアメリカ人、怠慢なイギリス人、そして綱渡りのロシア人のせいだ。アメリカがあと2年早く参戦していたら、数百万の人々や数千万の財産は失われずに済んだはずだ。泣いても無駄だ。仕方がない。第一次世界大戦は金を蓄えることの無意味さを教えてくれた。第二次大戦は何も蓄えるべきではないと教えてくれた。つまり、日々生きるのに必要な以上に働く価値はないということだ。
1945年6月22日付、ペーテル宛
「父バルトーク」P432

死の3ヶ月前である。一種諦念ともとれるが、真理をついた本音だと思う。
どうにも絢爛豪華なレハールの音楽に、そこはかとない哀しみが映るのは、芸術家の直感として後の欧州世界が直面せねばならなかった事実を予見してのことなのかどうなのか、喜歌劇とはいえ実に儚い。

レハール:喜歌劇「メリー・ウィドウ」(1972.2,11&12録音)
スッペ:
・「ウィーンの朝、昼、晩」序曲
・「軽騎兵」序曲
・「スペードの女王」序曲
・「美しきガラテア」序曲
・「怪盗団」序曲
・「詩人と農夫」序曲(1969.9録音)
エリザベス・ハーウッド(ハンナ・グラヴァリ、ソプラノ)
テレサ・ストラータス(ヴァランシエンヌ、ソプラノ)
ルネ・コロ(ダニロ・ダニロヴィチ伯爵)
ゾルタン・ケレメン(ミルコ・ツェータ男爵、バリトン)
ヴェルナー・ホルヴェーク(カミーユ・ド・ロシヨン、テノール)
ドナルド・グローブ(カスカーダ子爵、テノール)
ヴェルナー・クレン(ラウル・ド・サン・ブリオシュ、テノール)、ほか
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

カラヤンの「気合いの入り方」がいつもと違うよう・・・、気のせいだろうけれど。ベルリン・フィルの絶好のアンサンブルと抜群の機能性による正確無比の「メリー・ウィドウ」は完璧であるがゆえの不完全さを醸す。政治と芸術とはそもそも分断されるものだが、それぞれの人の内側に在る思想の根本というのはたとえ世界が変わっても変わらないもの。バルトークのいう「蓄えることの無意味さ」、「蓄えるべきでない」という思考の真逆を行くいかにもカラヤンの「メリー・ウィドウ」。

第2幕ハンナとダニロのハミングによる「メリー・ウィドウ・ワルツ」に涙する。第3幕で歌われるダニロのハンナへの求婚の二重唱「唇は黙っていても」(メリー・ウィドウ・ワルツ完全形)以上に美しく感じるのは僕だけだろうか・・・。

ちなみに、スッペの序曲はいずれもカラヤンならではで最高!(「軽騎兵」序曲

 


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