衝撃のフランツ・シューベルト。
やはり年齢を重ねてこその重みというのか、若年で聴いたときの印象とは明らかに異なる新たな心象。鮮烈な、これほど生き生きとした表現が他にあろうか。一切を冠絶する無限の顕現。
1825年、夏のグムンデンとガスタイン(いずれも中部オーストリアの保養地)。
ベートーヴェン同様、大自然を愛したシューベルトの天才が、革新的な、そして普遍的な音楽を紡いだ。これぞ神々との同期。
彼が自然の持つ真の偉大な力に目覚めたのは、このときがはじめてだった。現に、彼の病に水銀療法やスチーム療法は効き目がなく、医者は彼に転地療養を勧めていたが、旅をすることでその効果がさっそくあらわれたというべきか。そしてこれまで自分からは進んで旅をすることのなかった彼が、ここへきて旅の効用を意識するようになる。
~喜多尾道冬著「シューベルト」(朝日新聞社)P267
進歩、発展、向上。人は一箇所に留まっていては開かれない。
動け、動けといわれるようだ。
作品の本性が、おそらく初めて僕の心に刺さったという演奏。
・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」
ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ交響楽団(1997.1.25-27録音)
文字通り躍動的な、魂を鼓舞する名演奏。
この軽快さこそが音楽の神髄を表現する。
シューベルトの心は何て軽いのだろう。また、何て初々しいのだろう。
しかし、インマゼールの生み出す音楽は単に軽いだけでは終わらない。例えば、第2楽章アンダンテ・コン・モートにある悲哀の調。そして、喜びの第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ。アクセントが明確で、どの瞬間も音楽が飛び跳ね、これほど愉悦を感じさせる演奏があろうか(ノンヴィブラートの弦の音の清廉な響き!)。さらに終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェのめくるめく舞踊と爆発のカタルシス!
ただし、白眉はやっぱり第1楽章アンダンテ―アレグロ・マ・ノン・トロッポだか。冒頭のホルンの響きから鮮烈。何という快活な響き。音が生きている!
父親の信仰は、この作曲家の早すぎる死のすぐ後、別の息子に宛てた慰めの手紙にはっきり現れている。父親はこの息子に、熱心に次のように説いている。「愛する神の許に慰めを求め、そして、神の賢明なる計らいによって私たちに下されたどのような苦しみをも、神の聖なる御心に帰依することによって耐え抜くことしかないのだ。どのような結果になろうとも、神の叡知と慈愛によって、私たちは確信を深め、安心を得ることができるだろう。だから、勇気と神に対する心からの信頼を持ち続けなさい。神はおまえの心を強めて、決して負けない力を与え、その祝福によって、おまえに喜ばしい未来を保証して下さるだろう」。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P77-78
父の信仰心はおそらく息子フランツのそれにも通じたのだろう。
しかし、実際のところ彼は安息を求めることができたのかどうか?
生きることにおいて苦悩の多かった彼も死をもって真の安寧を獲得できたのかどうか、それはわからない。遺された崇高なる音楽にただ無心に耳を傾けよう。