バーンスタイン指揮フランス国立管 ルーセル 交響曲第3番ほか(1981.11Live)

作曲とは音楽家にとってひとつの信仰告白なんだと思う。
そこに他人は介在しない。あくまで自分自身を明らかにすることが目的だからだ。

セザール・フランクは別の時代からやって来た人物だった。革命と抗議行動の渦中にあるパリに住みながら、音楽を教え作曲する仕事に、満足げに従事していた。決して自説を曲げないフランスの音楽家に囲まれていたため、多くの友人との関係を妨げないよう、彼は遠慮がちに、自分の考えを表明するのを控えていた。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P146-147

謙虚の塊のようなセザール・フランク。
決して作品は多くはないものの、残されたそれらはいずれも絶品だ。
興味深いのは、今となっては名作と言える交響曲ニ短調初演大失敗のときのエピソードだ。世間の評価は最悪だったにもかかわらず、作曲家は意にも介しなかったのだといわれる。

会場に居合わせた者の多くの批判にも関わらず、フランクはこの初演を喜んだ。学生の一人、ピエール・プレヴィルはこう書いている。「私たちは外に出ると、フランクおやじが冷ややかな聴衆に悲しい思いをさせられているんじゃないかとビクビクしていた。ところが彼の表情は晴れ晴れしていた」。この出来事の後、演奏を聴きに行けなかった妻は、顔を合わせると質問責めにした。演奏会はうまくいったの? 聴衆は作品が気に入ったみたい? 拍手は多かったの? この質問に、フランク「おやじ」は音楽のことだけを頭に思い浮かべ、喜びに輝く表情でこう答えた。「ああ、良く鳴ったよ、思い通りだ!」
~同上書P154

ある種の鈍感力ともいえるが、フランクにとって他人の評価など彼にとってはどうでも良かったのだ。

・フランク:交響曲ニ短調(1887-88)
・サン=サーンス:交響詩「オンファールの糸車」作品31(1872)
・ルーセル:交響曲第3番ト短調作品42 L.53(1929-30)
レナード・バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団(1981.11Live)

あらためてレナード・バーンスタインを聴き込んでいる。
フランクの交響曲も繰り返し聴いた。
80年代当時、あれほど入れ込んでいた、彼のどんな解釈も受け入れ、心動かされていたはずなのに、今の印象は少し違う。好不調が激しいのだと思う。フランクは表面は錬磨され、美しいのだが、残念ながらどうにも感動しない。煩ささえ感じてしまうほど。どこか作為をにおわせる、自然体でない演奏には当たり前だけれど、余計にそう感じるのだろう。
しかし、一方の(セルゲイ・クーセヴィツキーの委嘱による)アルベール・ルーセルの交響曲第3番は素晴らしい。

第1楽章アレグロ・ヴィーヴォ冒頭から重低音響く激しさに卒倒。
続く第2楽章アダージョこそバーンスタインの真骨頂。人の心の情景を表すような、情感と情景とが錯綜するその表現は、人と音楽を愛するというバーンスタインの思念が見事に刷り込まれる。その精神は、第3楽章ヴィヴァーチェの雄渾さ、そして終楽章アレグロ・コン・スピーリトにも引き継がれ、ヒンデミットを髣髴とさせる陽気な道化音楽に拍手喝采。

ルーセルは血気盛んながら信仰心篤い人だったのだろうと想像する。
交響詩「オンファールの糸車」の可憐な美しさにも脱帽。
いずれもパリはシャンゼリゼ劇場でのライヴ録音。

過去記事(2010年8月26日)

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