破産を何度ももたらすほどの莫大な損失により、またあなたに説明しかねるような他の状況により、不幸な状況に見舞われて、日常的な活動からも遠ざかるようなことになっていました。
(1826年11月22日付け、ガリツィン侯からの手紙)
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P1089
2つの新しい弦楽四重奏曲を手にしながら半年以上も連絡をよこさなかったガリツィン侯からの言い訳に始まる手紙の虚しさよ。
後期弦楽四重奏群を委嘱した、ベートーヴェンの最後のパトロンであるロシアのニコラス・ガリツィン侯爵にまつわる真実を知るにつけ、最晩年のベートーヴェンの苦悩が実に痛々しい。
ガリツィン(1794-1866)は、自身にいかなる事情が発生したとはいえ、社会的契約を一方的に履行しなかった。伝承資料のひとつひとつが参照可能となった現在、以上のようにその経緯の詳細を追うと、その反社会性は問われるべきであるし、その対応にも大きな問題があった、と言わなければならない。その言い逃れ様には“ロシア手管”といった当時の認識以上のものがあり、没落貴族のやむなき選択、最後は完済した、では済まされない。リプシャーの名はその後、会話帖に登場しないので真相は分からないが、彼の業務経費も相当になったはずであり、そのコストは本来ガリツィンが負担すべき性質のもので、しかしそれは最終支払額に反映されてはいない。ことに1827年に入ってからの、回収に向けてのベートーヴェンの必死の努力には痛々しいものがある。最晩年の経済的窮状の一因がこの件にもあったことは後世にとって衝撃で、「とくにすでに長く続いている病気にあって必要としている」との最後の言葉は心に迫るものがある。
~同上書P1090-1091
ベートーヴェンの遺した崇高な作品だけを聴いている分には良いが、その背景、実情を知れば、音楽はより近くなる。作曲家は、作曲だけが仕事ではなく、それをお金にするための出版交渉、そして販路の開拓がとても大事な仕事になることを僕たちは忘れてはなるまい。
しかしながら、音楽作品というものは、(それが名作であればあるほど)必ず独り歩きする。
ベートーヴェンがガリツィン侯に送った弦楽四重奏曲は、どれもが「超」のつく傑作だ。
アルバン・ベルク四重奏団の、40年近く前の演奏がいまだに色褪せない。
作品127第1楽章冒頭マエストーソの絶大なる音の切れと力、アレグロ主部の強音と弱音の対比が醸す、ベートーヴェンの情感の発露。そして、晴れやかな、青春の、潤いある旋律美。あるいは、17分近くを要する第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ,モルト・カンタービレの粘らないさりげなさが美しい。
音楽は、作曲家の思念とは別に、ただひとつの傑作として存在し得る。
作曲の目的が何であれ、傑作は傑作として永遠なのである。作品127は、200年後の僕たちにもそのことをはっきりと教えてくれる。