スポーレンベルク ジョーンズ アンニアー レイノルズ プロクター ミッチンソン ルジャーク マッキンタイア バーンスタイン指揮ロンドン響 マーラー 交響曲第8番(1966.4録音)

創造主を讃える讃歌だけれど、どこか人間臭い。
その点こそが、グスタフ・マーラーの長所であり、短所でもあろう。普遍的なようで演奏によっては飽きが来る、そう、熱しやすく冷めやすい、そういう音楽になりがちだ。

最初は不安であった。不安と快楽と来るべきものへの驚きにみちた好奇心であった。夜が支配していた。そして彼の五官はとぎすまされていた。遠くのほうから雑踏、喧騒、物音が入り乱れて近づいて来た。がらがらという音、投げつける音、鈍い轟き、そして甲高い歓呼の声と、長くひきのばされたuの音の一定した叫び声—それらすべてを鳩の低くくうくうというような、ひどくしつこいフルートの音がつらぬいていて、ぞっとするような甘美な快感が感じられた。破廉恥に厚かましいその音に五臓六腑はとろけて行くようであった。しかし彼は、おぼろげながら、近づいて来るものを名づける一語を知っていた。それは「見知らぬ神」であった。
トーマス・マン/圓子修平訳「ベニスに死す」(集英社文庫)P120-121

マンの描写を読んでいて、そこにはやっぱりマーラーの影が感じられた。あの崇高に見せかけながら俗っぽい大袈裟な音響こそ「見知らぬ神」、否、「名もなき神」でなかったか。

・マーラー:交響曲第8番変ホ長調
エルナ・スポーレンベルク(ソプラノ、罪深い女)
グィネス・ジョーンズ(ソプラノ、贖罪の女の一人)
ゲニス・アンニアー(ソプラノ、栄光の聖母)
アンナ・レイノルズ(アルト、サマリアの女)
ノーマ・プロクター(アルト、エジプトのマリア)
ジョン・ミッチンソン(テノール、マリア崇拝の博士)
ウラディーミル・ルジャーク(バリトン、法悦の教父)
ドナルド・マッキンタイア(バス、瞑想の教父)
リーズ音楽祭合唱団、ロンドン交響合唱団(ドナル・ハント合唱指揮)
オーピントン・ジュニア・シンガーズ(シーラ・モスマン合唱指揮)
ハイゲート・スクール少年合唱団(エドワード・チャップマン合唱指揮)
フィンチュリー児童音楽グループ(ジョン・アンドルーズ合唱指揮)
ハンス・フォーレンバイダー(オルガン)
レナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団(1966.4.18-20録音)

世界的に、マーラーが何たるやがほとんど認知されることのなかった時代の金字塔。
レナード・バーンスタインの挑戦は、その後の世界を塗り替えたと言っても言い過ぎでなかろう。壮大な、耳をつんざくような音響は、今となっては素敵な子守唄の如くに僕たちの心に、魂に届く。
第1部の讃歌の美しさを僕はこの演奏で初めて認識した。遅れてきたマーラー・ファンの僕は、後のドイツ・グラモフォンから第7番を皮切りにリリースされた第8番を除く新録音でバーンスタインのマーラーを知った。確か第8番は最後のリリースで、バーンスタインの死後だったと記憶するが、もはやザルツブルク音楽祭の実況録音で補完されるとは思ってもおらず、ロンドン響とのこの演奏で、音楽の素晴らしさをじっくり堪能させていただいたことを昨日のように思い出す。
あの頃は、とても清廉な、そして崇高な、神がかった音楽だと思っていたが、前述のようにこれほど人間臭い、汗臭い音楽かと感じるようになったのはそれこそ50歳を過ぎた頃からだった。

古き良き60年代の薫りが感じられる、鮮烈なマーラーに、久しぶりに耳にしたバーンスタインの演奏に僕は思わず拍手を送った。

ところで、ミュンヘンでの「第八」の初演には、マーラーも骨を折ったようだ。
作曲家が納得するまでの出来にするには相当の技術力と、演奏を磨き上げる練習のための時間を要した。

僕自身、昨日は扁桃炎の再発で寝つき、またこれが何日も続くのではないかと肝を冷やして、冷や汗をかきました。しかし幸いにも荒療治がやや功を奏して、今日は予定通りに私の出る最初の練習をこなすことができました。
(1910年9月5日、カール・モル宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P415

やはり血と汗の結晶たる作品であり、どうやら人間臭い、俗的な演奏にすることが答のようだ。

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