ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団第694回東京定期演奏会

ショスタコーヴィチの交響曲第1番が終わって、アレクサンドル・ラザレフは上機嫌だった。会心の出来だったのだと想像する。終楽章で見事なミュート付トランペットを聴かせたオッタビアーノ・クリストーフォリを指し、次にオーボエの杉原由希子をわざわざ指揮台にまで呼び上げ、聴衆に披露する。さらには、ソロ・チェロの辻本玲、第1ヴァイオリン2番手へとその賞賛がつながれてゆく様に、僕は感動した。

世紀末ロシア。
アレクサンドル二世による農奴制の廃止は、農奴に小作人の地位を与えた画期的な政策であったものの、当の皇帝はそのちょうど20年後に革命グループの爆弾により暗殺されている。進歩的な皇帝がなぜ暗殺されねばならなかったのか?
世の構図は人間が考えるほど短絡的に変化を起こすものでなく、解放とは名ばかりで、それまでの地主に代わって別の資産家が彼ら農民を支配、酷使し続けていたことが、人々の怒りの鬱積につながり、結果的に打倒ロマノフ王朝という過激思想を生み出したのだといわれる。
そんな危うい時代に、ゴーゴリやドストエフスキー、あるいはツルゲーネフの文学が生まれ、音楽の世界ではムソルグスキーやリムスキー=コルサコフ、チャイコフスキー等という、いかにもロシア的憂愁を湛えた作品を創造した作曲家が輩出されたということをまずは知らねばなるまい。

アレクサンドル・グラズノフが1893年に発表した、3つの楽章を持つ交響曲第4番は、聴く者に、それが不穏な時代の産物であることを想像すらさせない叙情的な旋律と楽天的な音調をもった傑作である。王朝はこの先永遠に続くのだといわんばかりの絢爛豪華さと、大自然と一体となる素朴さを醸す音楽が、グラズノフの使徒たるアレクサンドル・ラザレフによって見事に紡がれた。終演後の、私の力でなく、あくまで作曲家の才能なのだといわんばかりに楽譜を掲げてのアピールは、いかにも作曲家に仕えるラザレフの謙虚さを物語っていた。

日本フィルハーモニー交響楽団第694回東京定期演奏会
ラザレフが刻むロシアの魂SeasonIV~グラズノフ3
2017年10月28日(土)14時開演
サントリーホール
木野雅之(コンサートマスター)
辻本玲(ソロ・チェロ)
アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団
・グラズノフ:交響曲第4番変ホ長調作品48
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調作品10

グラズノフから30余年。ロシア革命によってロマノフ王朝潰えたソヴィエトの景色は、おそらく180度変わっていたことだろう。ショスタコーヴィチの音楽に、世紀末ロシアの音楽にあった叙情はない。しかしながら、19歳の作曲家に、後に見られる二枚舌的精神の抑圧はまだ見られない。挑戦的で集中力に富む音楽の宝庫。後年のイディオムが目白押しで、ほとんど管弦楽のための協奏曲だと思われるほど独奏部が素晴らしい。

休憩後のショスタコーヴィチに痺れた。
第1楽章アレグレット—アレグロ・ノン・トロッポは冒頭からアイロニカルな音楽だ。浮き上がる独奏パートはいずれもが艶やかで伸びがあり、日本フィルの巧さを示す。第2楽章は、ショスタコ節全開のスケルツォで、オーケストラのアンサンブルの緊密さがものを言う。
そして、第3楽章レント—ラルゴの憂鬱な、酷寒の大地を震撼とさせる人間的心情吐露の歌の深みと、アタッカで奏される終楽章レント—アレグロ・モルトの無窮動と大いなる爆発の妙に感涙。終盤のティンパニ・ソロは素晴らしかった。また、ミュート付トランペットのソロの直後、指揮者が奏者に向けてグッド・サインを出した時のカタルシス。何よりコーダの白熱は、あらゆる感情の一切合切を含んだショスタコーヴィチの挑発。
参った。ロシア10月革命からちょうど100年。

 

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