アン・アキコ・マイヤーズ リ・ジャン 武満徹 妖精の距離ほか(2002.8録音)

武満徹の創造の秘密を知るにつけ、この人の懐の広さ、大きさに度肝を抜かれる。自分自身に対する確固たる自信がものをいう。何より立花隆の生き生きとした筆致、稀代の作曲家の核心を見事に著わし切った方法に感動した。

僕の2021年は武満徹で始まった。
音楽に限らぬ文化的多方面への関心の高さと感性の鋭さに舌を巻く。
武満徹の師である瀧口修造についての大岡信の言葉に次のようなものがある。シュールレアリストの創造の源がここにあり、また音楽にその方法は適用されないといわれる中、武満が自身の作曲に(無意識に)取り入れていたことが興味深い。

シュールレアリスムの基本的方法の一つとして、オートマチスムがあります。その一種として自分の頭の中を空っぽにして、そこに浮かんでくるイメージを何でもいいからパッパ、パッパと記録していくという方法があるんです。何にも考えないで、合理性抜き、論理的脈絡いっさいなしでイメージを書きつけていくんです。そうやって無意識の世界を引き出そうというわけですね。そうはいっても実際にやってみるとどうしても、意識が働いて論理性が入ってきちゃうんですね。それで、この方式の究極は、結局、夢の記述になるわけです。
立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P125

「考える葦」たる人間の、思考をいかに解脱できるか、これぞ、人類が目指すべき覚醒へのアプローチの一つだ。

もう一つ瀧口さんがよくやった方法としては、字引とか百科辞典を盲滅法にパッと開く、というのがあるんだそうです。そして開いたページの一番右上の言葉を使う。そうやって全く偶然に選んだ言葉をならべて詩を作っていく。瀧口さんの詩は突然パッととんでもなく飛躍するでしょう。あれはそういう手法からきてるんですね。こういう手法を使うと、普通の手法ではとても生まれない、一種異様な雰囲気を持つものが生まれてくるんです。
~同上書P126

この異様な雰囲気こそ武満徹が夢中になった、彼の感性を見事に捉えた世界なのであった。音楽家にはシュールレアリストはいないという中、武満徹は瀧口に導かれ、まさにシュールレアリストを目指したのだ。

瀧口さんの詩を読んで、初めてぼくはシュールレアリスムに興味をもった。音楽家にはシュールレアリストはいないですね。

ぼくは圧倒的に「妖精の距離」から影響を受けて、自分はシュールレアリストたらんと思った。
~同上書P127

その上で、立花隆の読みの深さがものをいう。

一般には、音楽はシュールレアリスムの影響を受けなかったということになっている。確かに、オートマチスムを利用して作曲したなどという話はきいたことがない。しかし、文学におけるシュールレアリスムを、既往の言語空間の意味論的破壊とシンタックス破壊ととらえれば、武満の音楽とかなり構造的に似たところがあるといえる。武満の音楽においては、既往の音楽空間が、シンタックスの上でも、意味論の上でも破壊されていくからである。
~同上書P127

実際には、ブラームスにせよ、リヒャルト・シュトラウスにせよ、あるいは、プッチーニにせよ、天才といわれた作曲家の創造の方法はオートマチスムに則っているといっても過言ではないのだけれど。それでも、既往の文脈を破壊したという視点から見れば、(結局平均律を超えない)十二音音楽の方法以上に武満の作曲技法は画期的であり、また唯一無二であったことがわかって面白い。

・佐藤聰明:歪んだ時の鳥たちII(1980)
・ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(1917)
・メシアン:主題と変奏(1932)
・武満徹:妖精の距離(瀧口修造の詩に基づく)(1951)
・ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ(1927)
アン・アキコ・マイヤーズ(ヴァイオリン)
リ・ジャン(ピアノ)(2002.8.27&28録音)

アン・アキコのヴァイオリンは、こと武満の音楽に関して、一層しなやかで、瑞々しく、しかし、翳を持ち、それゆえに内面から発せられる淡い光の陽性をとらえて離さない。立花隆の本のような、その人の内面を抉り、赤裸々に語らせる(?)本に出逢えれば、その人の作品がいかに身近に感じられることか。

僕はこれまで以上に武満徹に興味を持ち、彼の作品をもっと知りたくなった。
2021年は武満徹をもっともっと吸収しようと思う。

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