青い鳥

faure_plasson_1.jpg答は外にではなく内にあるものだといわれる。身の周りで起こるすべての現象は自身が種を捲いたがゆえの結果だということを忘れちゃいけない。大人であるということは自由であると同時に責任をとる義務が当然あるが、そうはいうものの子どものままの精神年齢で大人になりきれていない人も多い。そういう人に限って言い訳も多い。本人に自覚がない場合が多いからなおさら面倒。

ただし、その人がそのような行動になるにも相応の理由があることを知り、認めることも大事。共感力承認力が必要。

夕べは久しぶりに雨模様。あまりに寒くて歩くに堪えなく地下鉄に乗った。そして今朝起きてみると霙のような雪。夏場の猛烈な暑さが嘘のよう。まぁ、こういう寒暖の変化、四季というものがあるからまた自然の美しさ、偉大さを堪能できるのだけど・・・。

「青い鳥」はどこにいる?やっぱり己の内。だから、自らを省みて、「振り」を改めてゆくことって大切なんだ。

フォーレ:管弦楽作品集第1巻
・劇音楽「ペレアスとメリザンド」作品80
・「マスクとベルガマスク」作品112
・「シャイロック」作品57
フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(テノール)
アリックス・ブルボン・ヴォーカル・アンサンブル
ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団

モーリス・メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」はドビュッシーのオペラで有名だが、フォーレのこの組曲も独特の旋律美と心身をリラックスさせてくれる雰囲気満点で、とても大好きな作品。CDプレーヤーのリピート機能を駆使して、ごく小さな音量で1日中聴いたがまったく飽きを覚えない。まるで環境音楽のように自然と一体化するようなフォーレの創造感覚は素晴らしい。

何ものにも邪魔をされず、心地良い音楽と、戸外の風の音、鳥の鳴き声、救急車の音に雑踏の音、様々な音たちが混ざり合う様は、生きているんだという感覚をあらためて呼び覚ましてくれる。


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。
フォーレの「ペレアスとメリザンド」は、詩情にあふれていて、いつ聴いても、ただひたすら美しいですね。「シチリアーノ」の哀愁を帯びた典雅さなど、もう譬えようがないくらいですね。
>何ものにも邪魔をされず、心地良い音楽と、戸外の風の音、鳥の鳴き声、救急車の音に雑踏の音、様々な音たちが混ざり合う様は、生きているんだという感覚をあらためて呼び覚ましてくれる。
ここ最近の岡本さんの嗜好の流れで、ジョン・ケージなど、改めて、いかがですか?
ジョン・ケージ:プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード  高橋悠治
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89-%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%82%A0%E6%B2%BB/dp/B0006BA09O/ref=sr_1_3?s=music&ie=UTF8&qid=1297287206&sr=1-3
ジョン・ケージ&ハンス・オッテ:東洋と西洋 ヴァンドレ、シュランメル(pf、プリペアド・ピアノ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2697069

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
ケージの音楽、しばらく聴いておりませんでした。
まだまだ未知の作品も多いので、いろいろとご教示お願いいたします。
「ジョン・ケージ&ハンス・オッテ:東洋と西洋」は面白そうですね。ありがとうございます。

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EBJ

こんにちは。最近、仕事上でカチンとくることがありまして、「承認力」の大切さを改めて感じた次第です。相手のあることなので時にはカチンとくることはあるのは当然と言えば当然ですが、「承認力」により、早期に流せるような状態でありたいものです。

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岡本 浩和

>EBJ様
こんにちは。
頭ではわかっていてもなかなか難しいものですよね。
力が入り過ぎると頭に来ることも多いですから、「脱力」というのもポイントかもしれません。

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EBJ

先日岡本さんから頂いたコメントの中で「すべては脱力だ」という言葉を目にして以来、「脱力」の状態を意識しています。仕事で議論している時、女性と食事をしながら話をしている時、混雑した電車に乗っている時等々、いかに自然体でいられるか意識しています。正確に言うと、常に意識しているというよりは、折を見て「自分よ、力を抜け」と言い聞かせています。

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岡本 浩和

>EBJ様
こんにちは。
力を抜くのも、言い聞かせるのではなく、人の力を借りたらいいと思います。これは楽になります。

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