合気道を体験してみた。即座に身体は言うことを利かないが、理屈はよくわかる。「和の武道」というだけあり奥は相当に深そう。相手の力を利用して逆に相手をねじ伏せるというもの。ポイントはとにかく脱力。そして、そこには勝負はない。僕がワークショップなどで常にテーマにしている「自然体であること」と「呼吸力」がこの武道をマスターする大いなる鍵なんだろうということも頭では理解できた。しかしながら、「言うは易し行うは難し」。日々の繰り返しの修練が重要だろう。おそらく合気道の何たるかを体感的にわかっていけば他のことにも必ず役に立つはずだと直感したのでとにかく続けてみようと決意した。
それにしても、今日教えていただいた先生は正直あまり「教えること」は上手でなかった(笑)。やっぱり、できることと教えることの間には相当の距離がある。感覚的にも理屈的にも、あるいは身体の機能的にもすべてをリンクさせて完璧に理解していないと初心者を相手に物事を伝授するのはなかなか困難だということ。それこそ自分事に置き換え、幼稚園児にもわかるように教えられるようにならないと、と再認識。よりシンプルに。
しつこいようだが、菊地成孔氏+大谷能生氏の著書はいずれも言葉遊びが過ぎて一見難しいように見えるが、一冊ずつじっくりとページを繰っていくと実に簡明で、一旦そのツボを押さえると面白いように理解が深まるところが本当に素晴らしい。音楽を専門的に勉強していない者にも十分な好奇心を喚起し、かつ相応な理解を与えてくれるのだからこれはもう天才的だと言える(井上陽水さんが本を斜め読みして「天才だ」と言ったのも頷ける)。
菊地さんというのはおそらくあらゆるジャンルの音楽を聴きまくり、そしてきちんと咀嚼し自分のものにしているのだろうが、とにかく他人に教える能力がずば抜けているのではないかな。聴衆への音楽のアピール力も抜群だろうと想像できるが、彼の演奏に触れたことがないのでいずれ近いうちに機会を設けてそのステージを拝見したいと目論んでいる。そんなこんなで、件の「マイルス研究」本に誘われ、このところジャズの名盤をあれこれと反復して聴いている。とにかく時間が許す限り繰り返すこと。
とはいえ、今日のところは少し気分転換で、昨日の記事でも少々話題にした18世紀の天才の音楽を、最近リリースされた録音で聴いてみる。
グリモーの弾き振りによるモーツァルト。特筆すべきはK.488のカデンツァにフェルッチョ・ブゾーニ作のものを使用している点!!モーツァルトの時代、カデンツァは独奏者がそのテクニックやイマジネーションを聴衆にアピールするために即興で奏するのが当たり前だったことを考えると、インプロヴィゼーションを許さない(余地のない)現代の演奏のいかにつまらないことよ・・・。さすがにピアニスト作曲家であったブゾーニがおそらく自らの演奏のために創造したのであろうカデンツァの出来は立派なもの。18世紀の古典と20世紀の現代音楽が上手に交錯し、特別なコスモスが現出する。
音楽をする、あるいは音楽を聴く楽しみのうち最大のものって何なのだろう?音楽ができない僕には推測しかできないが、即興にあるように思う。ジャズやロックの、特にライブの面白味はそこにあるから。
こんばんは。
井上陽水をして1目置かせる菊地成孔氏には脱帽ですね。
日銀内で、今後もどんどんあーゆーライヴを企画して、金融政策担当者たちの石頭を少しでも柔らかくして欲しいですよね。
>音楽をする、あるいは音楽を聴く楽しみのうち最大のものって何なのだろう?音楽ができない僕には推測しかできないが、即興にあるように思う。
外国為替市場への介入も公定歩合操作も即興でやれ!! 即興で市場を振り回して活性化しろ!!
世界中が意表を突かれ驚きあきれて、あっという間に円安、インフレになることでしょう!!
音楽が日本経済を救う! どうです、いいアイデアでしょう! そのくらいの斬新かつ柔軟な発想をしてよ、日銀総裁、財務大臣!!(酒飲みすぎてとち頭狂って、国際会議で酩酊、寝ちゃってもいいよ!)
>K.488のカデンツァにフェルッチョ・ブゾーニ作
これはぜひ聴いてみたいです。
>雅之様
こんばんは。
昨日ご紹介いただいた陽水さんが他のアーティストたちとコラボする番組、あれは素晴らしいですね。
思わずいろいろと観てしまいました。ありがとうございます。
>音楽が日本経済を救う! どうです、いいアイデアでしょう!
おっしゃる通りだと思います。政治の世界に陽水先生や菊地さんのような柔らかい天才が出てきたら日本は救われるでしょうね(いや世界も)・・・(笑)
グリモーのモーツァルト素晴らしいです!
[…] ちょっと前のクラウディオ・アバドとのモーツァルトの協奏曲録音時の舞台裏のエピソードを思い出した。フェルッチョ・ブゾーニのカデンツァを使おうとしたエレーヌに、クラウディオが待ったをかけ、それに抵抗したエレーヌが一般的なモーツァルト版で録音したものの結局お蔵入りさせ、あらたに自身の弾き振りで録音し直したという件。 […]