僕は人前で話すことを生業にしている。20年近く若者に「人間力」というものについて教えてきた結果、何だかその分野では右に出るものはいないのではないかと思うほど、我ながら洗練されてきている。もちろん「謙虚さ」は忘れてはいけないので、常に学ばせていただくという姿勢は保ったままだ。
そういう僕でも流石に慣れないことはどうしても緊張する。しどろもどろになったりもする。要は人間なのである。完璧にはなりきれない。当然なのだ。
しかし、よくよく考えてみると「話す」技術の問題ではなさそうだ。テクニックではなく話す対象、つまり相手に対する「想い」の深さの問題なのである。相手に「想い」があれば自然に気の利いた言葉は出てくるものである。逆に、「想い」がなければテクニックに頼るしかなく、「頭で考えて」しまうのだ。
これは「負け惜しみ」でも何でもなく「真理」である。
1980 年代の末以来、エリック・ハイドシェックは何度も来日を重ねている。僕は、東京で彼のリサイタルがある場合はそのほとんどに足を運んでいる。記憶に残っている凄演はいくつもあるが筆頭はやはり「テンペスト」である。今年3月の演奏を含めもう4回は聴いているはずだ。その時々に応じて多少の差はあれ、やはりハイドシェックの十八番である。某評論家が昔から声を大にして絶賛しているだけのものがある。とにかく普通のピアニストでは聴かれない独特の節回しとバランス。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1989宇和島Live)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
ハイドシェックの舞台に接するたび僕は思う。彼は本当に人間好きなんだな、と。全身全霊を込め、彼は常にその時その場に集まった聴衆のためにピアノを弾く。前にも書いたが、いつぞやの体調不良をおして演奏した「ハンマークラヴィーア」のときはフィナーレの途中で止まってしまった。しかし、彼のオーディエンスへの想いは十分過ぎるほど伝わった。そういうエリックの姿を見るにつけ、僕はまだまだだと感じるのである。不特定多数の、しかし自分自身の演奏を聴きたいと集まってくれる観客に対するサービス精神。そして「想い」。ハイドシェックの「人間力」は別格だ。
人間として見習わないといけない。
※とにかくこの宇和島ライブは不滅です。未聴の方は必須!
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