
立春を越えると、文字通り春の気配が訪れる。
冷たい空気ながら世界は陽気に満たされるのだ。こういう時節には、リヒャルト・シュトラウスを聴きたくなる。彼の音楽にはある種企てがある。いかにも人間臭さ著しい音調が特長だが、過去のあらゆるイディオムをシュトラウス的にアレンジし、聴かせる技術にかけては随一の作曲家だ。中でも「ばらの騎士」。
岡田暁生さんの言葉に僕は膝を打った。
シュトラウスの《バラの騎士》は、いわば「夢のオペラ」である。ここではオペラの長い歴史が培ってきたところの、ありとあらゆる魅力のエッセンスが凝縮されている。ジングシュピール風の素朴なメルヘンあり、オペラ・ブッファのしゃれた笑いあり、ワーグナー楽劇の圧倒的な響きの官能あり、ヨハン・シュトラウス顔負けのワルツの大サービスあり、イタリア風カンタービレあり、オペレッタお得意の感傷とロマンあり—現代風に言えば《バラの騎士》はドリーム・オペラだ。「オペラ」というものの一番おいしいところだけを集めて作ったのが、この作品なのである。
~岡田暁生「バラの騎士の夢—リヒャルト・シュトラウスとオペラの変容」(春秋社)P233
こんなに豪華で、そして幾度触れても飽きることのない20世紀のオペラはそうない。
1973年7月13日のカルロス・クライバー。
この日、彼はバイエルン国立歌劇場で「ばらの騎士」を振った。
初めて聴いたとき、今にも目の前に姿を現しそうな生々しい音楽に、僕は卒倒した。
かつて柴田南雄氏は、カルロス・クライバーの演奏を評してこう表現した。
音色が虹のように変化する束の間の経過、あるいは、立ち上る余韻がホールの壁に吸い込まれるまでの果敢ない生命。
なんと的を射た、文学的な表現だろうか。彼の指揮する「ばらの騎士」もまさにそんな音楽に溢れている。
幕が進むにつれ、一層熱くなっていくクライバーを見事に捉える録音に僕は感激する。
何より終幕の、手に汗握る音楽の展開と、高揚する音響に興奮。
ワルツからオックス男爵の退散、その後の「マリー・テレーズ!」というオクタヴィアンの呼びかけで始まるゾフィー(ルチア・ポップ)、オクタヴィアン(ブリギッテ・ファスベンダー)、元帥夫人(クレア・ワトソン)の三重唱「私が誓ったことは、彼を正しいやり方で愛することでした」の、濃密で艶やかな、あまりの美しさに惚れ惚れとする(有名なこのシーンはいつ聴いてもゾクゾクする)。
音楽はますます夢の中に閉じ込められる。
その場の聴衆はもちろんのこと、音の缶詰(?)を前に音楽を堪能する僕たちも、(カルロスの創出する)いつの間にか幻想世界に引きずり込まれるのだ。