カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場管 R.シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」(1973.7.13Live)

立春を越えると、文字通り春の気配が訪れる。
冷たい空気ながら世界は陽気に満たされるのだ。こういう時節には、リヒャルト・シュトラウスを聴きたくなる。彼の音楽にはある種企てがある。いかにも人間臭さ著しい音調が特長だが、過去のあらゆるイディオムをシュトラウス的にアレンジし、聴かせる技術にかけては随一の作曲家だ。中でも「ばらの騎士」。

岡田暁生さんの言葉に僕は膝を打った。

シュトラウスの《バラの騎士》は、いわば「夢のオペラ」である。ここではオペラの長い歴史が培ってきたところの、ありとあらゆる魅力のエッセンスが凝縮されている。ジングシュピール風の素朴なメルヘンあり、オペラ・ブッファのしゃれた笑いあり、ワーグナー楽劇の圧倒的な響きの官能あり、ヨハン・シュトラウス顔負けのワルツの大サービスあり、イタリア風カンタービレあり、オペレッタお得意の感傷とロマンあり—現代風に言えば《バラの騎士》はドリーム・オペラだ。「オペラ」というものの一番おいしいところだけを集めて作ったのが、この作品なのである。
岡田暁生「バラの騎士の夢—リヒャルト・シュトラウスとオペラの変容」(春秋社)P233

こんなに豪華で、そして幾度触れても飽きることのない20世紀のオペラはそうない。

1973年7月13日のカルロス・クライバー。
この日、彼はバイエルン国立歌劇場で「ばらの騎士」を振った。
初めて聴いたとき、今にも目の前に姿を現しそうな生々しい音楽に、僕は卒倒した。

かつて柴田南雄氏は、カルロス・クライバーの演奏を評してこう表現した。

音色が虹のように変化する束の間の経過、あるいは、立ち上る余韻がホールの壁に吸い込まれるまでの果敢ない生命。

なんと的を射た、文学的な表現だろうか。彼の指揮する「ばらの騎士」もまさにそんな音楽に溢れている。

リヒャルト・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」
クレア・ワトソン(元帥夫人)
カール・リッダーブッシュ(オックス男爵)
ブリギッテ・ファスベンダー(オクタヴィアン)
ルチア・ポップ(ゾフィー)
ベンノ・クッシェ(ファーニナル)
ゲルハルト・ウンガー(テノール歌手)
アンネリーゼ・ヴァース(マリアンネ)
デイヴィッド・ソー(ヴァルツァッキ)
マルガレーテ・ベンツェ(アンニーナ)
アルブレヒト・ペーター(警官)
ゲオルク・パスクダ(元帥夫人の執事)
フランツ・クラールヴァイン(ファーニナルの執事)
ハンス・ヴィルブリンク(弁護士)
ロレンツ・フェーエンベルガー(主人)
ラインハルト・シュミット(フルーティスト)
カール・シュレーダー(美容師)ほか
バイエルン国立歌劇場合唱団
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団(1973.7.13Live)

幕が進むにつれ、一層熱くなっていくクライバーを見事に捉える録音に僕は感激する。
何より終幕の、手に汗握る音楽の展開と、高揚する音響に興奮。

ワルツからオックス男爵の退散、その後の「マリー・テレーズ!」というオクタヴィアンの呼びかけで始まるゾフィー(ルチア・ポップ)、オクタヴィアン(ブリギッテ・ファスベンダー)、元帥夫人(クレア・ワトソン)の三重唱「私が誓ったことは、彼を正しいやり方で愛することでした」の、濃密で艶やかな、あまりの美しさに惚れ惚れとする(有名なこのシーンはいつ聴いてもゾクゾクする)。

音楽はますます夢の中に閉じ込められる。
その場の聴衆はもちろんのこと、音の缶詰(?)を前に音楽を堪能する僕たちも、(カルロスの創出する)いつの間にか幻想世界に引きずり込まれるのだ。

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