クラウス指揮ウィーン・フィル ストラヴィンスキー「プルチネルラ」組曲(1952.3.9Live)ほかを聴いて思ふ

1945年に破壊された国立歌劇場の竣工が近くなった時、一体誰がこけら落としをし、その後の活動を指導してゆくか、という問題がクローズアップされた。オーストリア文部大臣は、クラウスにこの任務を委ねることを公言していたのだが、そうはならなかった。連邦首相が、その取り決めを否認したのである。首相に認められなかったことは、クラウスにとって、生涯でもっとも大きな失望だった。
(オットー・シュトラッサー/鳴海史生訳)
POCG-2628/9ライナーノーツ

雅な、繊細で高貴な推進力と生命力。
クレメンス・クラウスの音楽に内在するエネルギーの本は、そういうもののように思う。
以前、ウィーン・フィルとの戦時中のムジークフェラインでの、壮絶な「ミサ・ソレムニス」については書いた。予想もしない「キリエ」の悠久のテンポ感と音楽性。ベートーヴェンの本質がこれでもかと語られる「グローリア」に「クレド」。もちろん「サンクトゥス」以降「アニュス・デイ」まで緊張の糸は切れることなく4人の独唱者、そして合唱団とともに楽聖の晩年の内なる小宇宙を見事に再現する様。
戦時という空気もあるのかもしれないが、会場に溢れるであろう緊張感がこれほどに伝わる「ミサ・ソレムニス」を、僕はそれまで聴いたことがなかった。それこそメンゲルベルクの「マタイ受難曲」に匹敵する精神性と危機感、あるいは祈り。
あらためて聴いて、そのことを痛感する。一世一代の名演奏だ。

ところで、同じ盤にはストラヴィンスキーの「プルチネルラ」組曲とデュカスの「魔法使いの弟子」が収められている。こちらは戦後、ムジークフェラインでの同じく実況録音であり、やはり活気とエネルギーが凄まじい。

・ストラヴィンスキー:「プルチネルラ」組曲(1949年改訂版)(1952.3.9Live)
・デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」(ゲーテのバラードによるスケルツォ)(1953.1.3Live)
クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

改訂間もない「プルチネルラ」という、いわば現代音楽としての「古典」を自家薬籠中のものとして再現するクラウスの力量。進歩派クラウスの真骨頂。各々の舞曲が活力をもって、喜びと、時に悲しみを背負い、発奮する様子が手にとるようにわかる。何より作曲家に寄り添い、感応するクラウスの共感力!

そして、一層素晴らしいのが、ポール・デュカスの「魔法使いの弟子」。すでにディズニー映画「ファンタジア」で有名になっていたせいか、ストコフスキーの演奏を意識してなのか、クラウスの解釈はかなり躍動感に富む。いや、というより、物語の音での描写具合いの巧妙さは、ストコフスキー以上かもしれない。
例えば、終止の一瞬の爆発力たるや並大抵でない。
直後の聴衆の拍手喝采には、驚きが刻印される。

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