なるようになる。心配するな。

依存気質というのはなかなか手強い。
誰でもそうだと思うが、他人のことはよくわかっても一たび自分のこととなると何をどうすれば良いのか皆目見当がつかなくなる。自己分析の大切さをさんざん説いてきた僕もいざ自分事となると責任をとりたくないのかどうなのか、悩んだ時、ついつい他人に判断を仰いでしまう。
でも、やっぱり自分の直感に委ね、最終的には自分で決めないことにはどうにも話にならない。要は「自分を信じる力」である。言うは易し行うは難しだが、自分が今まさにこの世に存在していること自体が奇跡であることを自覚し、地に足を着けてひとつひとつ事を進めてゆくことが肝腎だ。
一休和尚の遺言状に書かれてあった「なるようになる。心配するな」という言葉は、まさに脱力状態でやることはやり、あとは運を天に任せろということだと解釈していいのだろうか・・・。本当に的を射た良い言葉である。

Esotericからまた気になる音盤がリリースされた。クリュイタンスによるフォーレのレクイエム!!この稀代の名演奏が、優れたマスタリングによって蘇る。心底楽しみにプレーヤーにかけた瞬間から一気にあちらの世界に(笑)!

フォーレ:レクイエム作品48
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
エリザベート・ブラッスール合唱団
アンリエット・ピュイ=ロジェ(オルガン)
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(1962.2.14,15&5.25,26)

50年前の録音とは思えない生々しさ!!
美しき静かなる調べ。フォーレの敬虔な祈りがクリュイタンスの鮮やかな棒さばきによりまるで「いまここ」で演奏されるかの如く響き渡る。全盛期のフィッシャー=ディースカウの理知的でかつ情感に溢れた歌声。そして、ロス=アンヘレスの抒情的で直截的な声。当時として最高の布陣で臨んだ録音らしく、どこをどう切っても有機的。
贅沢だが、一つ欠点を挙げるとするならあまりに人間的過ぎることか。この音楽は真に天国的であってほしい。

楽園にて
天使たち、汝をば天国に導き、
殉教者たち、汝をば迎え入れ、
聖なる都イエルサレムへといざなわん。
彼処には、天使たちの合唱、汝を迎うべし、
當っては貧しき乞食なりしラザロと共に。
汝に永遠の安息あれ。
(歌詞大意:高崎保男)


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