ヴァント指揮ベルリン・フィル ブルックナー 交響曲第8番(2001.1Live)

時々刻々と迫るブルックナーの最期。

誰もが何かを予感していたであろう。ブルックナーの瘦せ細った指の間から、命が砂のようにこぼれていく。彼は揺るぎない信仰者として、終焉を迎えようとしているのだろうか? この2年前、著名な解剖学者ヨーゼフ・ヒュルトルの次の言葉を、彼はポケット日記に書き付けている。

はたして精神とは、逆らい難い有機的法則に従って活動する、脳の生産物なのだろうか? あるいはむしろ脳とは、非物質的な精神活動と空間世界との交渉を仲介する、一条件に過ぎないのだろうか?
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P314

人間は何を目的にどこから来て、そしてどこへ去ってゆくのか。神の使徒アントン・ブルックナーですら、常に葛藤の中にあり、残念ながらついにその答を見つけることはできなかった。それは、脳の生産物でもなければ、単なる一条件でもなかろう。天才は、それこそ創造の瞬間は天とつながっていた。本人の意思とは別に、だ。僕たちは、般若心経にあるように本性が意識すらも超越していることを忘れてはならない。

ブルックナーが完成させた最後の交響曲は、まさに天人合一の奇蹟のようにも思える。もちろんそれは、名演奏を得たときに限るという条件付きで。

ギュンター・ヴァント最後の交響曲第8番。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版1890年第2稿)
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2001.1.19-22Live)

ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ録音。
こんなにも堂々たる、スケールの大きい演奏があろうか。死の1年余り前の演奏は、人後に落ちることなく、森羅万象すべてを包括する力が漲る怒涛の解釈だ。しかし、決して力みがあるわけではない。終始脱力の、神がかり的演奏であり、第1楽章アレグロ・モデラート提示部冒頭から有機的な響きを呈し、その圧倒的音響は、終楽章コーダの、すべての主題を織り込んだ音の構造物の異次元的開放にまで見事に維持される。恐るべき集中力!!

かつてヴァントは、晩年になったらもう演奏旅行などせず、愛するアニータと田舎に引きこもって簡素な生活を送りたい、ピレモンとバウキスのように心から結びあって、きれいな自然と調和しながら生きたいと夢見ていた。ウルミツにある二人のこぢんまりとした住まいは、ムルテンからも遠くなく、誰もが本当に心地よく感じることのできる風景や人々に囲まれている。ヴァントは、観想的な生活という夢のうち多くのものを、メルヒェンに出てくる妖精の3つの贈り物—健康、無欲、想像力—に頼りながら、現実のものとしている。年に何週間も、山々や野原や森のきれいな空気を吸い込み、ともに変化してゆく周囲の風景を、季節とともに注意深く観察し、所有するシャガールやミロやダリの見事な作品を繰り返し眺め、文学や哲学にも没頭する。だが、とりわけ楽しいのは、家にいることである。
ヴォルフガング・ザイフェルト著/根岸一美訳「ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い」(音楽之友社)P385

何と素敵な!希望通りの人生を送ったギュンター・ヴァントの、生涯現役として指揮台に上がり続けた音楽家の総決算とも言うべきブルックナーの大交響曲は、俗世間から離れた観想生活の賜物のように思う。それこそ無欲であり、無限の想像力に満ちる演奏なのだ。

ちなみに、2002年3月には、ハイドンの交響曲第76番とブルックナーの交響曲第6番という組み合わせでベルリン・フィルとの再共演が決まっていたということだから、それが叶えられなかったことは実に痛恨事(本人も無念だったことだろう)。ヴァント最晩年の第6番を聴いてみたかった。

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