生気溢れるその演奏からは、ほんの数年前に自ら命を絶とうとしていた人とは到底思えない。まるで「ハイリゲンシュタットの遺書」を認めたことで自身の使命を感じとり復活を果たしたベートーヴェンのようだ。
ヴァヴィーリナはムラヴィンスキー宅に滞在し続けた。彼女はこの指揮者を見捨てないというインナとの約束を固く守り、仕事仲間兼家政婦として彼のもとに留まった。インナは自分の差し迫った終焉を悟り、ムラヴィンスキーの将来の生活のことを心配していたのである。葬儀から1週間ほどたったある午後、ヴァヴィーリナはアパート内が急に静かになったことに気づいた。部屋中に死の静けさが漂っていた。彼女の恐れていた最悪のことが起こったのだ。彼女がムラヴィンスキーの書斎に入ると、《スペードの女王》のゲルマンのように、この巨匠が自らの命を絶とうとして軍用拳銃をこめかみにあてて坐っていた。それを見て、彼女は身を震わせた。ヴァヴィーリナはムラヴィンスキーの前に跪き、拳銃を手放すよう懇願し、こんなことをするなんて彼自身とインナに対する罪悪だと、泣き叫んだ。ムラヴィンスキーは抑えることもできずに涙を流し、拳銃を手渡し、並外れて大きなその両手で顔を隠し、露わにした感情を隠すように打ちひしがれて傷ついた。
~グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P265
アレクサンドラ・ヴァヴィーリナの慈愛こそがムラヴィンスキーを救ったのであり、仕事においてもまたプライヴェートにおいてもその後の彼の人生を支えたのはまさに彼女だった。
小さな名曲たちが、これほど活気に満ち、繊細に、しかもパッションを持って奏でられることが他にあっただろうか。
鉄壁の「ルスランとリュドミラ」序曲をはじめとして、ムソルグスキー、リャードフ、グラズノフなどロシア物は自家薬籠中。しかし、それ以上に素晴らしいのが独墺系の諸作品。「フィガロの結婚」序曲の目くるめく猛烈なスピードでありながら一切の乱れなく、しかも呼吸の深い奇蹟。同様に「ローエングリーン」第3幕前奏曲の咆える金管群の見事な音圧。
意外なのが、ドビュッシーの何とも退廃的で幻想的な調べは、堅固な意志のムラヴィンスキーとは異なる、水も滴るニュアンス豊かな絶品。
1月19日火曜日午後3時、エヴゲニー・アレクサンドロヴィチは非常に気分が悪くなり始め、呼ばれた医師はすぐに心臓再蘇生チームを呼び寄せた。悲しいかな、ムラヴィンスキーは再度心臓発作を起こしたので、もはやほとんどなすすべがなかった。それでも数時間にわたり、医師たちは彼の命を長びかせようと試みた。ムラヴィンスキーは寝室の窓に向かって肘掛け椅子に坐っていたが、彼に施されていることに油断は許されず、彼の目は青白くとろんとしていた。医師たちは彼に右手を握り締めるよう何度も促した。次第に彼は意識が薄れる状態に陥り、その夜の7時20分から30分の間に亡くなった。彼の臨終の言葉は、ひとつの世界からもうひとつの世界へと進んで行くのを知りたいというものだった。ムラヴィンスキーは凍りついた街の通りにある雪をかぶった木々を眺めながらこの世を去った。
~同上書P328
いかにもムラヴィンスキーらしい最期だ。
ムラヴィンスキーの音楽は、凍てつく真冬の夜更けに相応しい。