タリス・スコラーズのバード「3声、4声&5声のためのミサ曲」を聴いて思ふ

byrd_3masses_tallis_scholars思考(思想)こそが「枠」となる。
「信仰」というものも「宗教化」してしまえば同じこと。「絶対的存在」は唯一無二で、仮にそれを人間が務めるとするならば、それは他の人々が想像し、捏造した「偶像」に過ぎない。まったくの「幻」ということだ。
良心はそれぞれの内側に在ると聞く。そして、それぞれがつながってひとつになった時に、それは大いなるイノベーションとして、つまり真の「愛」として僕たちの眼前に現れる。

中世・ルネサンス期において、人々の支えになったのは神への信仰だった。物質性より精神性が重んじられていた時代。「信仰」を形にすべく、組織ができ上がった。すなわち宗教。
しかも、どの国家にも信仰の多数派があり、それぞれの宗教がしのぎを削るように、まるで領地争いのように、国の内部で戦いが繰り広げられた。当時は「宗教の自由」などなかったわけ。
例えば、16世紀当時のイギリスは、英国国教会というプロテスタント教会を成立させたばかりの頃で、カトリック信仰はご法度だった。ましてや1580年以降は、敵国スペインの影がちらつき始め、国は過敏になって取締りを強化し、カトリック信者たちを処刑していったといわれる。愛を謳う、あるいは愛を説く宗教において、「どちらが正しいか」という争いが起こるのだから、中に愛などない。

当時、エリザベス女王の寵愛を受け、辛うじて宮廷での楽師の地位を保っていたウィリアム・バードもカトリック信者。あるイエズス会神父の、1586年の秘密集会を回顧する言葉が興味深い。

そこは我々の活動に好都合だった。人里離れた場所で、気心の知れた同志がいたばかりか、別棟の礼拝堂もあったのだ。主人は優れた音楽家でオルガンもあり、家人が聖歌隊になった。集いには高名なオルガニストのバード氏もいた。
国書刊行会「古楽ガイド・グレゴリオ聖歌からバロックまで」P45-46

創造の背景を知ることは実に有意義だ。
度重なる弾圧に耐え、バードも片田舎に隠遁し、秘密ミサに通ったのだと。そして、そこで生み出されたのが有名な、そして哀しいほどに美しい「3声、4声&5声のためのミサ曲」(1592年~95年に出版)なのである。

バード:
・5声のミサ曲
・4声のミサ曲
・3声のミサ曲
・モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(1984録音)

抑圧されていたからこその「美」がここに在る。
虐げられていたからこその「エロス」もひょっとするとあるのかも。聖なる儀式のための音楽に「色」を感じるのはもってのほかと言いたいところだが、どんな聖職者だって人間である以上内側に「エロ」は明確にある。そういうものが表立っては発散されず、ひとつの作品として表現されたものが「芸術」だといえるのでは。その意味では、ウィリアム・バードの秘密のミサ曲は宗教のための音楽ではなく「純粋芸術」だ。

ポリフォニーを駆使しての3つの異なる声部の作品たちはいずれも涙なくして聴けぬほど純粋で崇高・・・。

「5声」の終曲アニュス・デイ(平和の讃歌)の何という清澄さ。声部が重なり合い、高揚してゆく様に作曲者自身の信仰への執念が感じ取れる。執念がある時点で極めて人間的だということ。

神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、
われらをあわれみたまえ。

「3声」のシンプルだからこそのハーモニーが見事。
そして、極めつけは実に「アヴェ・ヴェルム・コルプス(めでたし、まことのお身体)」!!!
静寂から湧き起こるような人声とは思えぬハーモニーに卒倒。同じく隠遁、秘密の作品であるがゆえの哀しさと慈しみが手に取るように感じられる。

栄えあれ まことのお身体 処女マリアより生まれ出で
真の苦しみを受け
世のため人のため 十字架にかけられた
穴の開いた横腹からは
水と血が流れた
われらにとって 死の裁きの
前知とおなりください
ああ、甘美で慈悲深きイエズス マリアの御子
私をおあわれみください
アーメン

 

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