
モーツァルトの可憐な歌曲を思い出す。いや、ことによるとモーツァルト以上に美しい瞬間多々。タイトル通りクラヴィーアのための歌といっても良いくらいピアノが前面に置かれた素敵な音楽が、1時間超を快適なものにしてくれる。何という癒しだろうか。
歌曲集の第1集の出版に先立って、ハイドンはアルタリア社に宛て次のような手紙を書き送っている。(1781年7月20日付)
「歌曲の4番、8番、9番の歌詞は、クルツビュック(Kurzbück)氏によって出版されたフリーベルトの歌曲のなかにあります。が、あなたのほうで手に入らない場合には、私がそれらをお送りしましょう。これらの3つの歌曲は、まえにカペルマイスターのホフマンが作曲しています。けれども、ここだけの話ですが、お粗末なものです。このほら吹きときたら、まるで自分ひとりがパルナッス山峰の頂をきわめたと思いこんでいます。そしていつも、ハイ・ソサエティーとやらで、私に恥をかかせようとたくらんでいるのです。だからこそ、私は、このひとりよがりのハイ・ソサエティーに差をみせつけてやるために、その3曲に作曲したのです。でもこれは内緒ですよ」。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー26 ハイドン」(音楽之友社)P386
妙な対抗心を燃やす天才が、本気で創作した代物ゆえ、200数十年を経た現代にも通用する普遍性をもつ(もちろんそれはアメリングとデームスの力量にもよるところ大きい)。
一聴、第1部第9曲「不幸な愛の慰め」の愁いある高尚な響きに心惹かれる。原詩は一人の男の身勝手な失恋の不満に過ぎないが(作者は不明)、言葉から匂い立つ気とピアノによって導かれるハイドンの音楽の香気があまりに美しい。
不愉快な時間の数々よ、
おまえたちのなんと数多くあることか!
こうして苦痛と傷を増やしつづけ、
いずれ私を殺すがいい!
ところでおまえたち、やさしい衝動の数々よ、
来て、私と一緒にただ眠っておくれ。
それは、私の愛する女性が
私のものになりそうもないからだ。
あるいは、第2部第5曲「宗教歌」の敬虔な、暗い響きに感無量。
あまり期待しないで聴き始めたのが、気がつくと全48曲を、あっという間に聴いてしまっていた。アメリングの歌いくちの巧さに乗せられたこともあろうが、ここまで聴かせてしまったハイドンの歌曲の魅力というのも見逃せない。
(畑中良輔)
アメリングは、ここでも、英、独、伊、3ヶ国語をよくこなし、見事な歌唱を示している。美しく心にみちた歌声、優美な歌い口、旋律の巧みな扱い、それに陰影のゆたかさ、彼女は最もハイドンの作品にふさわしい歌手といってもよいだろう。デムスのピアノも、ここでは即興的な弾きくずしが抑制され、美しいタッチと、みずみずしい弾きぶりでアメリングの歌とよく調和している。
(佐々木行綱)
~「レコード芸術」1981年12月号P148
当時の新譜月評をひもとくに、選者2人とも絶賛の嵐。そういえば、1982年のレコードアカデミー賞を取ったアルバムだった。