バルビローリ指揮ハレ管 シベリウス 交響曲第4番(1969.5録音)ほか

私はこの作品の将来に強い自信を抱き続けております。そこには一音たりとも変更すべき箇所はございません。
(1924年7月、シベリウスがヤラスに述べた言葉)
神部智著「作曲家◎人と作品シリーズ シベリウス」(音楽之友社)P143

未来を見据える作曲家の魂からの声明、絶大なる自信に基づく作品はやはり時代が追いつくのを待つしかない。健康の不安を抱え、絶望の中で書き上げられた交響曲には、随所に光明が見える。暗澹たる第1楽章(テンポ・モルト・モデラート,クワジ・アダージョ—アダージョ)冒頭の晦渋な音楽から、いよいよ解放され、グロッケンシュピール(作曲者の意図はグロッケンだったらしいが、最初の取り違えからか、グロッケンシュピールで演奏することが常となってしまった問題の楽章。吉松隆氏の興味深い考察があるので参照のこと)響く終楽章(アレグロ)の可憐な(?)、否、喜びに溢れた音調は、仮に死しても良し、しかし生きられるならなお良しと腹を括る作曲家の覚悟の賜物だろうか。

死の1年余り前にレコーディングされたバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏が堂に入り、美しい。

シベリウス:
・交響曲第1番ホ短調作品39(1966.12.28-30録音)
・交響曲第4番イ短調作品63(1969.5.29-30録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団

確かに第4番イ短調は聴き手を遠のける、難解で渋い作品だ。しかし、ひとたびその魅力に取りつかれると、生涯の宝となることは間違いない。晩年のサー・ジョンの演奏は、外面の冷たさを余所に、切れば血の出るような温かみを秘めたもの。何より音の彩が明瞭で、楽器の分離も良く、全体の見通しに優れている点が素晴らしい。

シベリウスの葬儀の際に、彼の遺言に従って演奏された第3楽章(テンポ・ラルゴ)の思念こもる精妙なる調べ(ここにはかつて大衆を当惑させた暗鬱な難解さはない)。サー・ジョンの棒は、まるで瞑想するかのように静かに、そして祈りをもってシベリウスの傑作を称える(中頃の音調に、ウルトラセブンの冬木透作曲「哀惜のバラード」を思うのは僕だけだろうか)。名演だ。

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