ルートヴィヒ クレンペラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集(1962.3録音)ほか

楽劇とはワーグナーの専売特許のようなものだが、楽劇だけがワーグナーではない。
若書きや習作や、そういうものを含めて初めてリヒャルト・ワーグナーの本質というものを理解できるのだろうと思う。創造とはそういうものだ。

知られざる作品たちとは言え、間違いなくワーグナーの音がする(しかしそれは、いわば「解毒」されたワーグナーだ)。忘れ去られた作品に焦点を当てた”The Other Wagner”は不思議に懐かしい。

・交響曲ホ長調~アレグロ・コン・スピーリト(1834)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(1995.5.8&20録音)
・序曲「クリストファー・コロンブス」(1835)
ジェフリー・テイト指揮バイエルン放送交響楽団(1988.1録音)
・忠誠行進曲(1864)
・皇帝行進曲(1871)
・アメリカ合衆国100年祭行進曲(1876)
マレク・ヤノフスキ指揮ロンドン交響楽団(1972.1.20-21録音)
・女声のための5つの詩「ヴェーゼンドンク歌曲集」(フェリックス・モットル編曲)(1857-58)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1962.3.21-23録音)

若きヤノフスキが録音した3つの行進曲が出色。

昼頃、リヒャルトはわたしをそばに呼んで、戴冠行進曲の最初のスケッチができたと告げ、その一部を弾いてくれた。とても気に入った。日の光があふれ、にぎやかに食卓を囲む。
(1871年2月13日月曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P346

「戴冠行進曲」とはすなわち「皇帝行進曲」のことだ。最終稿は同月25日に完成しているが、雄渾で明朗な旋律を持つこの作品をコジマは大いに気に入ったという。
一方、「忠誠行進曲」は、バイエルン王ルートヴィヒ2世に献呈するにあたり、ドイツ国民が「皇帝行進曲」と並べて聴けるよう「ルートヴィヒ王行進曲」に改題しようとさえ考えたそうだが、結局それは思い止まったらしい。「忠誠行進曲」は真に慈悲溢れる音楽だと思う。
そして、アメリカの建国を記念しての「100年祭行進曲」は明朗快活ながら、音楽の流れは単調で、それゆえ少々飽きが来る印象。おそらく作曲同年のバイロイト祝祭劇場開場、あるいは「指環」杮落としのために資金が必要で、否が応に書かざるを得なかった(?)代物だろうか。

そしてやはり絶品は、クリスタ・ルートヴィヒを独唱に据えたクレンペラーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」。ワーグナー同様色恋沙汰に明け暮れたクレンペラーの本懐とも言うべき色香と官能が漂泊する最高の表現がここにある。

《5つの詩》のヴァイオリン編曲版も届いた。「世に言うわたしの情事なるものも、本人にとっては結婚となんら変わりがなかった。ミンナと結婚したとき、わたしはひどく悲惨な状況にあり、指揮者としてさえ疑問視され、まるで冴えなかった。一方、ミンナは魅力的で、華々しい脚光を浴びていた。結局、わたしは彼女に影響を及ぼすことなく終わったわけだが、ほかの女たちとの関係にしてもやはりそうで、互いにまったく世界を異にしていたのだからね。ただひとつ理解に苦しむのは、ミンナを結婚へと踏み切らせるのにわたしが揮った火事場の馬鹿力だ。

とはいえ、もっとわたしにふさわしい女、もっとしっくりくる女なんて、いなかっただろうがね。わたしを完成させてくれた唯一の女性は、きみだ。きみ以外のことは、すべてわたしの独白芝居にすぎない。
(1872年1月15日月曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P92

何とも独断的言い草だが、コジマあってのリヒャルト・ワーグナーだという宣言は、「ヴェーゼンドンク歌曲集」に対する可愛らしい言い訳だろう。ルートヴィヒの思念満ちる暗い歌唱とフィルハーモニア管弦楽団の墨色の管弦楽が織り成す音楽のあまりの美しさ。

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