ジェス・トーマス ヘルガ・デルネシュ カラヤン指揮ベルリン・フィル ワーグナー 楽劇「ジークフリート」(1968.12&1969.2録音)

何と甘美で牧歌的な美しさを露わにする音楽なのだろう。
楽劇「ジークフリート」は、「ニーベルングの指環」の4部作の中で地味な作品だ。
この、童話的で、物語が静かに淡々と(?)綴られる楽劇は、カラヤンのように外面を徹底的に磨き上げ、精密なアンサンブルで演奏されることにより一層その存在感が増す。

第3幕第3場、ジークフリートとブリュンヒルデの邂逅の場があまりに美しい。

蜘蛛の巣のように張りめぐらされたライトモティーフによって《指環》に統一性をもたせていることは今までの例からみても明らかであるが、その他にも様々な形で、《指環》に統一感を与える試みがなされている。たとえば〈ジークフリート〉の筋書の頂点をなす「ブリュンヒルデの目覚め」。それは〈ワルキューレ〉第3幕でウォータンがブリュンヒルデに別れを告げる場面と同じ舞台であり、また〈神々のたそがれ〉第3幕で死に瀕したジークフリートがブリュンヒルデに別れを告げる場面と同じ音楽である。つまり〈ジークフリート〉は、〈ワルキューレ〉とは視覚的な、〈神々のたそがれ〉とは聴覚的な太い絆で結び合わされていることになる。
(三宅幸夫「綜合芸術としての《指環》—〈ジークフリート〉を中心として—」)
~「レコード芸術」1982年5月号P184

時間と空間を超え、世界を一つにしようと試みるリヒャルト・ワーグナーの完全なる頭脳を明確に示すのは、意外にこの「ジークフリート」なのかもしれないと思った。作曲にあたり第2幕前と第3幕との間に12年ほどのブランクがあるこの楽劇は、(ワーグナーの筆致がより優れた)第3幕のブリュンヒルデの目覚めのシーンの音楽に何といっても惹かれるのである(ここでのカラヤンの棒は実に丁寧で、思念こもり、もちろん外面の錬磨も含め最高だ)。

・ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
ジェス・トーマス(テノール、ジークフリート)
ゲルハルト・シュトルツェ(テノール、ミーメ)
トーマス・スチュワート(バリトン、さすらい人)
ゾルタン・ケレメン(バリトン、アルベリヒ)
カール・リッダーブッシュ(バス、ファフナー)
オラリア・ドミンゲス(メゾソプラノ、エルダ)
ヘルガ・デルネシュ(ソプラノ、ブリュンヒルデ)
キャサリン・ゲイヤー(ソプラノ、森の鳥の声)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1968.12.2-12&1969.2.3録音)

ヘルガ・デルネシュ扮するブリュンヒルデの官能。
後年のいわゆる「牧歌」の旋律に乗せて歌われるブリュンヒルデの告白よ。

わたしは
永劫の時を生きてきた、
永劫の時の中で
甘美なあこがれの歓びにひたりながら
いつもあなたの身の栄えばかり念じてきました!
おおジークフリート、世にたぐいなきひと!

日本ワーグナー協会監修・三光長治/高辻知義/三宅幸夫編訳「ジークフリート」(白水社)P157

ジークフリートを歌うジェス・トーマスとの融け合いが、心に沁みる。

マエストロは歌手たちの選択の際にも、声の質は当然のことながら、いつも外観も重視した。彼はオペラを演出するとき、いつも見た目をおろそかにしなかった。だから彼は「巨大な肉の塊のような歌手」を徹頭徹尾拒否した。
ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P323

まさかこの録音で歌手の容姿までをも気にしてはいなかっただろうが、それでも声質を含め、いかにカラヤンが外面の錬磨にこだわったかがよくわかるエピソードだ。実際、「ニーベルングの指環」4部作の出来も音楽ドラマの甘美さ、音の緻密さという点で他を冠絶する。

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