ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(1975.6.7Live)

ムラヴィンスキーは1970年の大阪万博の時に来日するはずだったのに、「病気」で来れなかった。これもスモリヌイの嫌がらせの一つだった。ロシアのアーティストにとって日本公演は常に第一志望である。先ず日本人の組織力に対する安心感、国内移動の時間の正確さ、バス、列車の立派さ、ホテルがゴージャスで清潔で便利なこと、聴衆の礼儀正しく熱心なこと、そして何よりも最先端をいく電気製品を買えることなどで、どこよりも日本に行きたいとは団員一同お世辞でなく言う言葉である。だからムラヴィンスキーに不許可を出したことで州党本部は「してやったり」と思ったのだろうが、本人としてはあんな遠くの極東の国に行かないでよかったという感覚だったそうだ。だから1973年、日本側の強い要求で来日することになった時、1週間かけてシベリアを横断し、3日の船旅で酔い、なんの因果でこんな最果ての地へ行かなくてはならないかと、何度も後悔したとのことだった。
ヴィターリー・フォミーン著/河島みどり監訳「評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー」(音楽之友社)P229

「知らない」ということは何と怖ろしいことだろう。
静かに激する第1楽章アダージョ—アレグロ・ノン・トロッポ。
そして、あまりの推進力と音の熱さが際立つ第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。終楽章アダージョ・ラメントーソの慟哭、内側から渦巻く音響に発する言葉を失ってしまう(最強音はおそらく録音エンジニアによってコントロールされているのだろう、本当ならば耳をつんざくような轟音にさらされるだろうところでトーン・ダウンするのが興覚めだけれど)。この日、東京文化会館の聴衆の息を飲み、微動だにせず、チャイコフスキーの傑作に耳を傾けていたであろうシーンが手に取るようにわかる。
二度目の来日公演からの一コマ。

レン・フィルの二度目の来日が1975年5月9日に実現した。ムラヴィンスキーはその前に体調を崩して(本当に)おり、「必ず来てね」という私の電話にぐずぐずと返答をはぐらかしていたので、私は懸念を抱いたまま横浜まで駆けつけた。芍薬とピンクの霞草の素敵な花束を用意して行ったのだが、もしムラヴィンスキーの代わりにヤンソンスが来ていたら、花束は家に持って帰ろうと思って音楽事務所のアシスタント・マネージャーに隠し持ってもらった(私もかなり意地が悪い)。
甲板にマエストロとアーリャ夫人が出てきた。私は花束を取ってきて振りまわした。涙が出るほど嬉しかった。

河島みどり著「ムラヴィンスキーと私」(草思社)P200

音楽家の来日が容易でなかった旧ソ連時代のエピソード。当時、日本でムラヴィンスキーを実演で聴けること自体が本当に奇蹟だったのだ。

・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1975.6.7Live)

東京文化会館での白熱のライヴ録音。
70年代の来日公演の、残された音源はどれもが本当に素晴らしい。ムラヴィンスキーの来日のたびに同行した河島みどりさんの裏話は、あれほど冷徹で即物的な音楽を生み出す人間ムラヴィンスキーの本懐、慈悲の心を垣間見るようでどれもが面白い。

「あわれなるロシアよ」 ムラヴィンスキーがつぶやく。「これは『ボリス・ゴドゥノフ』の科白だよ。ロシアはあの頃からずっと苦しんでいる」。
トランク一杯に買い込んだ缶詰やチーズ、ハム、ソーセージなど、すぐ飽きてしまって私には野菜と冷たい水とお風呂を夢見た毎日だった。シベリア鉄道は軌道が古く汽車はすごく揺れコンパートメントには冷たいすきま風が入るし、単線なのかよく列車待ちで止まる。その中での1週間の生活はきつく、お酒を飲んだ夜などムラヴィンスキーは何度もレニングラードに帰ろうと言い出す始末。
「マエストロが日本に来るのを嫌がったのがよく解ります。日本は遠いわ」と言うと、ムラヴィンスキーはしみじみと言った。
「そうじゃない。我々が日本から余りにも遠くにいるのだ」。

ヴィターリー・フォミーン著/河島みどり監訳「評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー」(音楽之友社)P234

ムラヴィンスキーの言葉が心に染みる。

「私の好きなのは黒パン、黒パンにひまわり油をつけて食べれば生きていけるよ」
と彼はよく言った。ムラヴィンスキーはあの長躯のわりに少食だった。58年に胃の手術をしたからである。コンサートの日は朝は軽く、昼もコンソメスープとボイルした肉と野菜、午睡のあと5時ごろ生卵を2つ飲み、演奏会のあとゆっくりと夕食をとる。ビール、ワイン、時にはウォッカが必須である。このスタイルはレニングラードでも外国でも変わらない。

~同上書P228

菜食主義者ではなかったようだが、彼の質素な食スタイルこそ集中力の高い、峻厳な、唯一無二の音楽を創造した事由の一つなのかもしれない。

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