スクリャービンの音楽に感じ、ラフマニノフにはない「エロス」

shostakovich_6_9_bernstein.jpgラフマニノフの音楽は優雅でロマンティックで聴いていてとても耳に優しい。しかし、飽きやすいという弱点もある。「エロス」を感じないのだ。一方、モスクワ音楽院で同窓だったスクリャービン。彼の音楽には「エロス」が明らかにある。ショパンの影響をもろに受けた初期のピアノ音楽にしてもそうだし、神秘主義に傾いた後期の作品の根底に流れるのも「エロス」なのだ。「法悦の詩」というエクスタシーを主題にしたその名の通りの交響曲を書くくらいだから作曲者も意識してのことなのだろう。しかし、ナルシシズムに満ちたあまりに自己中心的な感情に傾きすぎており(と僕は感じる)、こちらは聴いていて辛くなることが稀にある。長く聴いていられないと言うか何と言うか・・・。
ある意味ワーグナーの楽劇に通じるものがあるのだが、そういえば、スクリャービンも確かワグネリアンだった。ワーグナーの性格もいい加減自己中心的。その創造物は天才的といえども、おつきあいなど到底できないほどの嫌な奴だったらしい。

ロマンティックに偏るでもなく、かといってエロティックともいえない人間臭い音楽を書いたドミトリー・ショスタコーヴィチ。ショスタコの場合、余計なものが削ぎ落とされ、ストイックにその音楽のみを追求したムラヴィンスキー盤が絶対的だが、より人間らしいのがバーンスタイン(一昨日書いたシベリウスの解釈も同様)。

ショスタコーヴィチ:交響曲第9番変ホ長調作品70
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ほとんど洒落じゃないかと思わせるショスタコーヴィチの第9交響曲。ソビエト共産党幹部はベートーヴェンの第9のような歓喜に満ちた壮大な音楽を期待していたらしい。しかし、そこはショスタコならではの「皮肉」に満ちたユーモア満載の「軽快な」おもちゃの交響曲。極めて人間的な感情の坩堝であるこの楽曲は、晩年のバーンスタインのユックリズムが輪をかけて意味深さを強調する。

久しぶりに池袋の「楼蘭(いわゆる菜食台湾料理店)」にてランチをする。3月にセミナーを受講いただいたT君とM君との3人で2時間強。ここの店では餃子も酢豚もホイコーローも鮭炒飯も肉魚を使っていない(それでいて安くて美味い)から、二人ともびっくりしていた。
そして、セミナーの個人セッションのため新宿に移動。相変わらず休日の街中は人、人、人・・・。池袋の雑踏。新宿の人ごみ。嫌になるが、こういう日は逆に「人間讃歌」の音楽を聴いて心身を慰めるのもいいかも。ラフマニノフでもスクリャービンでもなくショスタコーヴィチの音楽を・・・。

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