モーザー シュヴァルツ コロ モル バーンスタイン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管 ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1978.3Live)

バーンスタインにしては余分な思念の入らない、極めてオーソドックスな解釈に賛否両論なのだろうと思う。真に客観というものは存在しないゆえ、彼の独自の解釈が、少なくとも最晩年のような過剰な感情移入がない演奏に、つかみどころがないと感じる人もいるのかもしれない。しかしながら筋は通っている。芯もしっかりし、土台の安定したあくまで主観的な(?)名演奏だと僕は思う。

就任式をやり過ごすと、ミサ曲に継続的に取り組んでいかなければならないという呪縛から解き放たれたかのように、当面、必要なピアノ作品の作曲に立ち向かった。なぜ必要なのかと言えば、大曲は演奏機会も少なく、楽譜の買い手もなかなかつかないので出版社は尻込みし、その反面、作曲には多大な時間を取られて、実入りになる作品に手が回らなくなり、困窮度は増す、というスパイラルとなるからである。この時期の書簡に「苦境」とも「困窮」とも訳せるDrangsalという言葉がよく使われている。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P971

実に現実的な話に夢も希望もないが、ベートーヴェンの生きた時代はそんな情勢であり、また純粋芸術を創造する職業というのはそういうものなんだとあらためて認識せねばならない。それにしても、そんな状況の中で生み出された「ミサ・ソレムニス」の神がかり的巨大さよ(時間的、空間的なだけでなく、精神的な意味においても)。

そして、ベートーヴェン本人が「パンのための仕事」と断言した、同時期に生み出された屈指のピアノ・ソナタたちの、生活のためだけの仕事とは思えない崇高さに、ベートーヴェンの精神の、霊性の大きさを思うのである。

あのソナタは苦しい・困窮した状況のなかで書かれ、というのはほとんどパンのために書くのはつらいことで、私はそれをそのようにやり遂げただけだ。
(1819年3月19日付、リース宛書簡)
~同上書P971

レナード・バーンスタイン渾身の「ミサ・ソレムニス」。

・ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス作品123
エッダ・モーザー(ソプラノ)
ハンナ・シュヴァルツ(コントラルト)
ルネ・コロ(テノール)
クルト・モル(バス)
ヒルヴァーサム・オランダ放送合唱団(メインデルト・ベーケル合唱指揮)
ヘルマン・クレッバース(独奏ヴァイオリン)
ベルンハルト・バーテリンク(オルガン)
レナード・バーンスタイン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1978.3Live)

涙に濡れるサンクトゥス以降(何よりベネディクトゥス!)が美しく、感動的。
おそらく心の、本性の叫びから創作されたであろうベートーヴェン畢生の大作が、いかにもプライベートな印象の、人間的かつとっつきやすい外面に磨き上げられている点がこの録音の価値だろう。この録音があと10年遅ければ、最晩年のバーンスタインらしくもっと粘着質の、感情移入の激しい浪漫の薫り漂う、それこそ賛否両論たる名盤が生まれていたのではないかと想像するのも乙なもの。

教会の典礼とは無関係に(きっかけはそうではなかったが)自主的にミサ曲を書くのは、バッハのいわゆる《ロ短調ミサ曲》の例はあったが、歴史的にはきわめて希有なことであり、その事後処理にベートーヴェンは苦闘し、そして先例と同様に、本人はその上演に立ち会うことはできなかった。
~同上書P989

何とも哀しい物語だが、何にせよベートーヴェンの志が人類を一つにすることであったことを、この「ミサ・ソレムニス」を聴いて再確認する。音楽はあまりに美しく、そして文字通り厳しい。

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