メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(1937.12録音)ほか

戦前、フルトヴェングラーの録音と二分した天下の「悲愴」交響曲。

その昔、高校生の頃、僕は専らエアチェック・カセットテープ、もしくはアナログ廉価盤で音楽を享受していた。当時、キングからLONDONレーベルのMZという廉価(1枚1,200円!)シリーズがあったが、そこで僕はブルーノ・ワルターやヴィレム・メンゲルベルクの古の名盤に出逢った。

音質や演奏のスタイルや、好事家の間では喧々諤々と様々議論あったが、そんなことはどうでも良かった(というか当時は理解できなかった)、とにかく美しくも個性的な演奏を日々追い求め(蘊蓄できるほど何もわかっていなかったけれど)、出逢った1枚を毎日繰り返し聴いていた、今となっては古き良き時代だ。

デジタル復刻された後もメンゲルベルクの1937年の「悲愴」はよく聴いた
止めは、何といってもオーパス蔵盤。

・J.S.バッハ:アリア(管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068より)(mat. Tel 022665)
・ヴィヴァルディ:合奏協奏曲イ短調作品3-8(mat. Tel 022616-18)
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(mat. Tel 022666-75)
ヴィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1937.12録音)

独特のハム音までが復刻された、文字通りSP盤をそのまま耳にするような生々しさよ。

しかし、このハムは低周波から300Hz位までの広い範囲に渡って存在しているので、音楽に影響を与えずに消すことは不可能である。例えば冒頭のファゴットの出る前の小さなコントラバスの音などハムを消したら一緒に消されて聞こえなくなってしまうだろう。ハムの原因は当時テレフンケンで用いられていたコンデンサマイクが不安定だったためで、アムステルダムでの録音は根拠地から離れた出張録音ということで余計に発生したらしい。
~OPK2011ライナーノーツ

メンゲルベルクの、確かに恣意的な解釈は、しかし聴き様によっては実に自然体だ。それくらい巨匠は楽譜を深読みし、かつ納得行くまでリハーサルを繰り返し、音楽を創り上げたらしい。録音から85年を経た今も人類史に燦然と輝く遺産であり、筆舌に尽くし難い「新しい」音楽が鳴り響く。

そして、時代がかったバッハのアリアですら崇高で、(当時の欧州の暗澹たる空気の中で奏でられる清澄な音楽は)あまりに悲しく、重い。同様に本来快活なヴィヴァルディも純ドイツ的な響きを醸し、平和を祈念する鷹揚な心に満ちている。
戦犯の嫌疑かけられた巨匠は、数年間演奏権を剥奪され、結局戦後復帰することなく没するが、もしメンゲルベルクが、少なくとも50年代前半にいくつか録音を残しておいてくれたらと思うと、残念でならない。戦争は、あらゆる人の運命を変える。

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