ウィーンの街を闊歩した天才たちの息吹。
10代のシューベルトは相変わらず移り気なのだろう、作品は第2楽章の途中で放棄されたという。
また、若きベートーヴェンの作品は、いまだ師ハイドンの影響下にありながら第4楽章アダージョの深みなどベートーヴェンらしい革新的な挑戦を見せるもの。
そして、晩年のモーツァルトの透明かつ純真な音楽は、一切の無駄なく人間業とは思えぬ崇高さ。
東京・ウィーン三重奏団のトッパンホール・ライヴを聴いた。
三者が見事に一体となる弦楽三重奏曲の妙。
ことにモーツァルトの変ホ長調ディヴェルティメントの素晴らしさ。かの三大交響曲の直後に生み出された神童唯一の弦楽三重奏曲は、極限まで切り詰められたアンサンブルに、美しくも深遠な旋律がいっぱいで、聴いていて泣きたくなるほど。特に、第2楽章アダージョにあるふくよかな愉悦、そして第4楽章アンダンテに感じる哀しい調べに死をも超越するモーツァルトを思う。
ディヴェルティメント・トッパン・ライヴ
・シューベルト:弦楽三重奏曲第1番変ロ長調D471
・ベートーヴェン:弦楽三重奏のためのセレナーデニ長調作品8
・モーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調K.563
・ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ(ヴォルフガング・クロース編曲)
・ランナー:ウィーンのレントラー
東京・ウィーン三重奏団
大石智生(ヴァイオリン)
太田英里(ヴィオラ)
平野玲音(チェロ)(2015.7.18Live)
モーツァルトはどんな時も明朗だ。時に感じられる翳りさえ見事に光に昇華される。そして、聴く者は一切の苦悩を忘れ、生きることへの希望に満たされるのだ。
なるほど、年齢を重ねるごとにモーツァルトの音楽が特効薬となるのは、あらゆる感情が渦巻きながらすべてが音楽によって中和されるからだろう。借金を繰り返し、プライドも偏見も捨て、身ひとつになったモーツァルトに残されたのは音楽をする魂だけ。
それが人々の心を鷲づかみにしないはずがない。
オテル・ド・ボローニュで、仲間だけの四重奏団を組んでいたが、礼拝堂では、アントーン・タイバー(お前も知っているように、ここのオルガニストだ)と、息子と一緒にここに来ているクラフト氏(エスターハーズィ侯爵のチェリスト)とで、編成した。そして、このささやかな演奏のために、ぼくはフォン・プーホベルクに書いてあげたトリオを提供した。なかなか聴ける演奏だった。
(1789年4月16日付、ドレスデンより妻コンスタンツェ宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)―その生涯のロマン」(岩波文庫)P145
ところで、アンコールで奏されたシュトラウスやランナーがまた素晴らしい。
「ピツィカート・ポルカ」の文字通り快濶に弾ける音楽と、途中足踏みを交えるランナーの夢見る「レントラー」に恍惚。
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良さそうですねえ。何せ、万物は「弦」ですからね(笑)。
「大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス) 新書 」– 2013/8/21 大栗 博司 (著)
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あれ?
>雅之様
こちらも某プロデューサーからいただいたCDなのですが、数ヶ月放置してようやく聴いた代物です。
すばらしいです。しかし、実演はもっとすばらしかっただろうと想像します。
>、万物は「弦」ですからね
あれ?
いつもながらお上手です。(笑)