ゾルタン・コダーイは、フリッチャイのことを称し「我が精神の弟子」とし、フリッチャイの死に際し、次のようなコメントを出している。
私にとって最もうれしかったのは、1961年のルツェルンにおける私の交響曲の初演に立ち会えたことです。フリッチャイの天性の、活気あふれる熟達の指揮ぶりには驚嘆しました。
これ以上はたどり着けない最高の境地に到達した時点において終わりを迎えたという点において、彼の運命は幸せだったかもしれない。その一方で、彼にとっても私たちにとっても、この高い境地がみごとに栄え行くという、豊かな実りが奪われてしまう結果になってしまったことは、まことに痛恨の極みでありました。
シラーの挽歌を彼に捧げます。
「美というものもまた滅びなければならない。」
~フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P228
フリッチャイの指揮する「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は懐かしさの極み。
第2曲「ウィーンの音楽時計」は、映画でも見るかのようなリアルな描写こそ指揮者の天性の活気あふれるテクニックだろう。そしてまた、第5曲間奏曲の、ための入った、思い入れたっぷりの歌謡的音調はハンガリーを母国とするフリッチャイならではの劇的さ。
8月16日のルツェルンでの初演の直後にスタジオ録音された交響曲は、作曲者自身が太鼓判を押すように、晩年のコダーイの熟練の官能と枯淡の境地の両面が垣間見られ、実に音楽的で興味深い。何よりヨーロッパ的解放感と、マジャール民族的開かれた調性が同時代のソ連が誇る偉大なるショスタコーヴィチのものなどとは対極に位置する作品だと僕は思う。緩徐楽章たる第2楽章アンダンテ・モデラートですら実にオリエンタルかつ牧歌的な響きで、明朗な音調の中にあり、何とも優雅で高貴。コダーイの言葉通り、まさに晩年のフリッチャイの悟りの境地の証しと言えまいか。