フリッチャイはどんな作品、どんな旋律や主題からでも、その音響以上のものを見出そうとしていました。そのふさわしい表現を求める努力の中に、彼は人間臭さや人間像を求めます。無味乾燥な絶対的な音楽というものは、もはや彼にとってはありえませんでした。誤解を恐れずに言えば、彼は「イメージの音楽家」と呼ぶのがふさわしいでしょう。フェレンツ・フリチャイは常に音の詩人であり続け、そしてその詩作というものが、ヘンリク・イプセンが言うように、「自分自身が正しいかどうかを判断するためのものである」ということを理解していました。
(フリードリヒ・ヘルツフェルト)
~フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P212
フリッチャイは情感というものを大切にしたのだと思う。特に、病に倒れる以前の彼の音楽は実に肉感的で、情操的だったのだろうと想像する。
また、ベルリン放送交響楽団のソロ・チェロ奏者であったハンス・シュラーダーは次のように証言している。
フェレンツ・フリッチャイと過ごした後半の時期、特に最後の頃のリハーサルやレコーディングは、関係者全員にとって深く心を揺さぶられる経験となりました。1949年当時の健康な、そしてまばゆいばかりの姿を知っているだけに、なおさらです。
~同上書P206
あるいは、同楽団フルート奏者であったハインツ・ヘーフスも次のように回顧する。
彼は本当に火のような情熱に満ちた人でした。たとえば11時からお昼を挟んで夕方の6時まで私たちと話しているときも、彼の目はいつも光り輝いていました。不屈の意志の力というべきものを備えていて、それによって私たちは奇跡のような仕事をなしとげることができたのです。
~同上書P208
楽団員に尊敬され、慕われていたフリッチャイの残した録音は、いずれもパッションに溢れ、人間的で、また美しい。
歌劇「アイーダ」からのバレエ音楽の、最晩年の再録音が躍動感に満ち、美しい。
あるいは、歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲での、敵対する家系同士の相思相愛の男女の悲劇、または殺戮と平和の祈りの対照といった物語の深層を、見事なコントラストをもって音化するフリッチャイの音楽作りの素晴らしさ。
そして、アミルカレ・ポンキエッリの歌劇「ラ・ジョコンダ」からの「時の踊り」の軽快ながら心の深層にまで届く激性に感無量。
可哀想なポンキエッリ、あんなにいい奴だったのに、あんなに立派な音楽家だったのに。
(ジュゼッペ・ヴェルディ)
ポンキエッリの急逝に際し、ヴェルディはそう言ったらしい。
ポンキエッリの137回目の命日に。