カオスの内に垣間見えるハーモニー

今朝、瞑想中に「ようじょうくん」とインスピレーションが走ったので、つまりそれは貝原益軒の「養生訓」のことだろうと想像し、早速紀伊國屋書店に赴き、講談社学術文庫の1冊を購入した。江戸中期の儒学者が死の2年前に上梓したというこの大著は名前こそ歴史の教科書を通じて知っていたものの、読んだこともなし、読んでみようと興味を持ったこともなかった。
とりあえず斜め読みして思ったこと。なるほど、単なるテクニック論でなく現代にももちろん通じる智恵(どんなものでも過不足ない中庸がベストというのが思想の根底に流れている)が散りばめられている。肝に銘じておくようにしよう。

「養生の四大要」
内欲を少なくし、外邪を防いで身体を時々動かし、睡眠を少なくする。
「養生の四寡」
思いを少なくして紙(心)を養い、欲を少なくして精(霊)を養い、飲食を少なくして胃を養い、言葉を少なくして気を養わなければならない。
「呼吸はゆっくりと」
いつも呼吸はゆっくりとして、深く丹田に入れるようにする。性急にしてはいけないのである。
(巻第二総論下より抜粋)

ところで、例の「マイルス研究」以来、マイルス・デイヴィスが影響を受けた周辺の音楽家(例えば、ジミヘンプリンス、あるいはシュトックハウゼンなど)についてまずは勉強をしているのだが、いかんせん俄か学習ではなかなか「その音楽」について論じるのが困難。カールハインツ・シュトックハウゼンの「黄道十二宮~星座のための12のメロディ」なども一聴引き込まれる、前衛にしては聴きやすい音楽なのだが、作品に込められた作曲者の思想や思考までを読み解くとなるとなかなか・・・。あるいはリゲティのオペラ「グラン・マカーブル」についても、97年にザルツブルクを訪問した際、祝祭劇場に大々的に宣伝されていたことをよく覚えており、気にはなっているものの、これとて映像なしに音だけで対訳を片手に聴き通すのは少々骨が折れる(作品の概要を理解して少しずつ聴き込んではいるのだけど)。こんなことをやっているとマイルスの作品そのものをきちんと順番に聴いて物にするというのは一体いつになるのだろう・・・(笑)、人生まだまだ先は長いと思うが、少々性急な性質も持ち合わせているのでどうも落ち着かない(いやいや「養生訓」の教え通り、呼吸はゆっくりと焦らずだな・・・)。

さすがに霜月も下旬になると相当に寒い。気のせいか睡眠時間が長くなったような・・・(笑)。

べリオ:
・シンフォニア~8つの声と管弦楽のための(1968/69)
・アインドゥリュッケ
レジ・パスキエ(ヴァイオリン独奏)
ニュー・スウィングル・シンガーズ
ピエール・ブーレーズ指揮フランス国立管弦楽団

大学生の頃、それはちょうどバーンスタインが2度目のマーラー全集に取り掛かった頃だが、友人がマーラーの「復活」をモチーフにした奇妙な音盤を携えてやって来たことがあった。「聴いてみろ」と手渡されたのがブーレーズによるべリオの「シンフォニア」。

まったく理解できなかった。既存の音楽をばらばらに解体してさらにそれを自己流に再創造することの意味って何なのか?これは決して音楽でない!とその時は完璧に閉口した。

20世紀後半の音楽というのはやっぱりジャンルの壁を越えて連関するのだろう、まがりなりにも現代音楽が「わかる」ようになったのは、マイルスやコルトレーンのフリー、あるいはルー・リードらが一時期実験的にやったノイズ音楽をそこそこ聴き込んでから・・・。べリオの「シンフォニア」は30分強という時間も含めて「いま」はたまに聴いて悦に浸れる音楽のひとつとなっている。コラージュ的な手法による再創造というのが僕の性質に合うのかも(10数年前に実演を聴いたときも結構楽しめた)。

ここのところ、期せずして1968年前後の作品を、ジャンルを超え聴いていることになる。各々カオスの内に垣間見えるハーモニーが何とも素敵だと僕には思える。


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