オネゲル

ワーグナーを信奉していたアルテュール・オネゲルは楽劇「トリスタンとイゾルデ」を好きでないと洩らした友人に「君は恋愛をしたことがないのか?」と問うたという。確かに「トリスタン」の恍惚感溢れる音楽を耳にして感動しない輩は、純粋に音楽的感性が鈍化しているのか、それとも「恋や愛」というものに対して全く縁のない「人間らしさ」の微塵までも捨て去ってしまった人(?)なのかもしれない。とにかく第1幕前奏曲冒頭から魂を揺さぶられるほど見事なまでに人間の「エロス」が音化されている。

オネゲルはあくまで20世紀の作曲家で作風は晦渋そのものだが、聴き込めば聴き込むほど味が出てくる。ワーグナーに似て好き嫌いが分かれる音楽家であると思う。そういう僕自身も若い頃、オネゲルはどうも苦手で、なかなかその真髄に触れることができなかった。しかし、ある程度の年齢を重ねた今となってみれば、2度の世界大戦を間近に見た体験から生ずるヒューマニスティックな精神と人間の本質に訴えかけようとする作風に大なり小なり敬虔な「宗教心」を感じる。

第 4回「人間力向上セミナー」の1日目が無事終了した。少人数であれ、ご参加いただいている方々の向上心は高く、ひとつひとつの実習に対して真摯に反応していただき、僕自身も手ごたえを感じ感謝の念が絶えない。人間はやはりつながっていると実感する。そういう時は心洗われる音楽が聴きたくなる。中世音楽もいい。バロック音楽もいい。しかし、意外なことに20世紀現代音楽の悲痛な叫びの「浄化」パワーはより一層いいのだ。

オネゲル:交響曲第3番「典礼風」
シャルル・デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団

わかりにくいようでさほどでもない。セザール・フランク以来の伝統である3楽章制の交響曲。第3楽章は「われらに平和を」というサブ・タイトルがついている。冒頭は「惨めに疲労困憊し、絶望して這い回る人間の行進」を表しているというが、僕には「絶望」よりもむしろ「希望」が感じられる。「祈り」なのである。

「私がこの作品で表現したかったのは、何年にもわたって私たちを陥れた野蛮、愚かさ、苦しみ、(非人間的な)機械化と官僚主義の流れに対するそこに生きる者としての応えである。周りの(全体主義への)盲目的な勢いにさらされた個人の孤独と、幸福と平和への愛、宗教的な安らぎの間のせめぎ合いを音楽によって表現しようとしたのです。この私の交響曲は三人の登場人物による劇であり、その三人とはそれぞれに<不幸><幸福><人間>という役柄を持っている。これは永遠の課題であり、私はそれを繰り返しただけなのです。」
アルテュール・オネゲル

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