「素直」、プロコフィエフの第3協奏曲

年齢に関係なく人にとって重要な要素のひとつに「素直」というものがある。「素直」とはイコール「向上心」ともいえる。「向上心」とは「謙虚」であり、他者から学ぼうという姿勢である。人は「傲慢」になったときに転落する。他者依存の強い人ほど「傲慢」になる傾向がある。一方で軸を自らに有し、自律的に生きている人は俄然「謙虚」である。自分の二本の足で立っている人は余裕があるのだ。

ちょうど10年前、大分県で「別府アルゲリッチ音楽祭」がスタートした。チョン・ミョン=フンとの「マ・メール・ロア」の連弾や十八番であるプロコフィエフの第3協奏曲を披露すると聞いた時どうしても九州まで出向かねばという衝動に駆られた。仕事を放り出して音楽三昧をするというのはなかなか勇気がいることだが、何かと理由をつけ前後2日間をおまけにつけ温泉三昧、河豚三昧を兼ね、湯布院や臼杵を訪ねた。巨匠アルゲリッチが気に入るほどのロケーションであるゆえ悪いはずがない。最高の土地である。それに芸大オーケストラをバックにアルゲリッチが自由奔放に自らの全てを表現し尽したプロコがとにかく絶品であった。ただでさえ興奮を喚起するこの曲が彼女の魔法によってますます光彩を放つ様子が手にとるようにわかり、それだけで訪問した甲斐があると感激したことが昨日のことのようである。

第 4回「人間力向上セミナー」が終了した。2日間あっという間で、参加された方が各々「気づき」をシェアーしてくれ、感動的なコメントをいただけることがとにかく素晴らしい。人間は自然体であることが重要だ。ともすると着飾り、鎧を身につけることを強いられる世の中でユニークな自分自身を貫くことはある意味至難の業である。しかしながら、自分という存在の大切さに想いが至ったとき人間は誰しも潜在的にもつ能力を発揮する。「世界に一つだけの花」ではないが、 Only Oneなのである。他者と比較しなくても良いのだ。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

デビュー間もない若き日のアルゲリッチの独壇場。この曲はどちらかというとメロディーよりもリズムが主体で、聴く者の感性を直接に刺激する波動をもつ。終楽章コーダの劇的なアッチェレランドは興奮の極み。プロコフィエフの持つ「野獣」魂が揺さぶりをかける。大分で味わった河豚の味も忘れられないが、同時に由布院の「湯」の心地よさも良い思い出だ。とはいえ、一番の想い出は「アルゲリッチのピアノ」に尽きる。

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む