テューレック J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲BWV988(1998.3録音)

吉凶禍福すべてを楽しむために僕たちは生まれてきたのだと痛感する。
音を楽しむことが音楽なら、文字通り作曲を楽しんだ最右翼はバッハでなかったか。
アリアを主題にし、30の変奏から冒頭主題に回帰する「ゴルトベルク変奏曲」の構成こそ人間の喜怒哀楽すべてを包含する形であり、悟りを啓く方法の一つだったのだと思う。

25年前の奇蹟。
ロザリン・テューレックが晩年に録音した「ゴルトベルク変奏曲」は彼女の7度目の録音だ。たっぷり時間をかけ、すべての反復を順守した演奏は90分を超える。

取り上げたい小さなポイントが 1つあります。大きなポイントだと考える人もいますが、私にとっては小さなポイントです。つまり、ピアノでバッハを演奏するとき、私はハープシコードを真似しようとしているのだろうかと疑問に思う人もいます。いいえ、私はハープシコードやクラヴィコード、あるいはオルガンを真似しようとはしていません。ただし、私はこれらすべての楽器の音を私の一般的な響きのイメージに含めています。ピアノで特定のパッセージをスタッカートで演奏する場合、ハープシコードのように聞こえるようにするためだけに演奏しているわけではありません。もしそうなら、私は表面的な芸術家になるでしょう。それだと、単に私は模倣者に過ぎません。芸術は模倣によって達成することはできません。それは、非常に深い知識、響きとアイデアの深い統合を通じてはじめて達成されるものです。パッセージをスタッカートで演奏する場合、構造的な理由、音楽的な理由があるのだということを忘れてはなりません。
1961年10月13日、ロザリン・テューレックへのインタヴュー

テューレックはそう語る。
彼女が外面的効果だけをねらった音楽家でないことはその演奏を聴けばすぐに理解できるだろう。長尺の「ゴルトベルク変奏曲」は、幾度聴いても新たな発見がある。そして、変奏のどの瞬間も常に新しく、そして意味深い。

・ヨハン・セバスティアン・バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
ロザリン・テューレック(ピアノ)(1998.3録音)

確かにスタッカートで紡がれる第18変奏などを聴くと、確かにグレン・グールドが影響を受けているように思われる。あのゆったりとした新録音にあるパルスは、テューレックの演奏にもあるそれと間違いなく同期する。
冒頭アリアから何と静かで、また語りかけるような可憐な音楽なのだろう。洒落た装飾がバッハの響きに一層の浪漫をもたらすようだ。そして、左手を重視しつつも、両手のバランスが見事な第1変奏を模範に、すべての変奏が調和に向かう様に、テューレックの魂が大自然と一体になる様を想像する。続く第2変奏の哀感、そして第3変奏カノンの優雅な舞踊に思わず歓喜する。第4変奏以降も一貫してテンポは遅く、しかし緩むことなく一定の緊張感をもって進行する様子が驚異的。ここには間違いなる大いなる鼓動が存在する。音楽が生きているのである。変奏ごとの程よい「間」も良し。
第26変奏以降はもはや天国気分。すっかりテューレックの演奏の虜になる。
2018年2月8日の記事

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