フランツ・リストの最初の愛人マリー・ダグー伯爵夫人とのスイスへの逃避行の中で、大自然から受けた感動を音に表したのが「巡礼の年 第1年スイス」である。
見事な心象風景。リストは心を音化する天才だと思った。
そして、俗的色艶だけでなく、標題の通りそこには聖なる信仰も読みとれる。
たぶんそれは、アルフレート・ブレンデルの、力の抜けた、同様の信仰がものを言っているのだと思う。
ブレンデルの「巡礼の年 第1年スイス」を久しぶりに聴いて思った。
これほどの名演奏を、リストの心を的確に表現するのに相応しい有機的美演をあまりにも長期にわたって僕は聴き逃してきたのかと。
水も滴る抒情、あるいは明快な叙景。
まるで耳で見るように、スイスの大自然が蘇るようだ。
愛するマリーとともに、リストはいったいどんな夢を見たのだろう。
ふたりがスイス国内の旅行に出たのは6月14日である。ライン川沿いに東へと進み、ボーデン湖、ザンクト・ガレン、ヴァレンシュタット、リギ山、そしてウィリアム・テル伝説の地、アンダーマット、フルカ峠を越えてブリーク、レマン湖を船で渡って7月19日の夕刻にジュネーヴに着いた。鉄道のない時代に、ほとんどを馬車で移動するのは大変なことであったろうし、事実、身重のマリーは体調を崩しているが、ふたりにとっては幸せな一時であったろう。
~福田弥著「作曲家◎人と作品シリーズ リスト」(音楽之友社)P46
好演とは、時空を超えて僕たちの心に残る演奏を言うのだと思う。
ブレンデルのリストの根底にあるものは幸福感だ。ほとんど駆け落ちともいえる逃避行には苦労もあっただろうが、それを超えるだけの心と心のつながりがあった。
そして、すでに聖職者となっていたリストの、リヒャルト・ワーグナーに敬意を表した、「トリスタンとイゾルデ」からの「イゾルデの愛の死」に表出する哀しみの一体と浄化。
1862年9月9日、長女ブランディーヌが急逝した。
同年11月19日、リストはエドゥアルトに宛てて手紙を書いている。
ブランディーヌはわたしの心のなかでダニエルのかたわらにいます。ふたりは私のそばにとどまりながら、贖罪と浄化をもたらし、代願者として「心を高めよ!」と叫んでいるのです。死の時が近づいても、私がその心構えをしていなかったり、臆病であったりすることはないでしょう。われわれの信仰は、それが導いてくれる救済を期待し、待ち望んでいます。しかしこの世にいるかぎり、われわれは日々の仕事に立ち向かわねばなりません。私は創造者でいるつもりです。他人にはそれは取るに足らないことかもしれませんが、私にはどうしても必要なことなのです。・・・生きている愛しき人々を光で照らし、亡くなった愛しき人々を「精神的にも肉体的にも」安らかに眠れるようにしなくてはなりません。これが私の芸術が求めるものであり、目的なのです。
~同上書P131
後のワーグナーの思想にも通じる志がリストにはあった。彼のアレンジした「愛の死」には、間違いなく救済の光がある。そして、それを純粋かつ最美に演奏したのがブレンデルだ。