Led Zeppelin “Coda” (1982)

依然として彼は浴びるように酒を飲んでいた。基本的にボーナムは常時酔っ払っていたと言っていい。ヘロインからは手を引いたことになっていたものの、疑いの目を向ける向きもあった。少なくとも抗鬱剤のモーティヴァルは間違いなく使っていた。
クリス・セイルヴィッチ/奥田祐士訳「ジミー・ペイジの真実」(ハーパー・コリンズ)P459

あの強烈で重いドラミングの奇蹟は、精神的不安定からもたらされたものなのかどうなのか。ロック史上無比の才能は、事故(?)によりわずか32歳で人生の幕を突然降ろす。1980年9月24日のこと。

リハーサルが終わっても、ボーナムの飲酒は止まらなかった。午後11時には完全に正体をなくし、ソファーの上で眠りこんでしまう。ベッドに運ばれた彼は、横向きにして寝かされた。
翌朝の8時にペイジのアシスタントがボーナムの様子を見に行った。ドラマーはぐっすり眠っていた。どうやら大量の酒が消えるまで、そのまま寝かせておいたほうがよさそうな雲行きだった。
午後になっても彼が姿をあらわさないのに気づいたロバート・プラントのアシスタント、ベンジー・ルフェーヴルは、1時45分にジョン・ポール・ジョーンズを連れてドラマーの寝室に入った。揺り起こしてやろうとすると、ボーナムの顔は青く、脈は止まり、身体は冷たくなっていた。彼は32歳で亡くなった。死因は—吐瀉物の誤嚥。

~同上書P459-460

あっけない死は、人間の命が永遠でなく、儚いものであることを物語る。
それにしてももう少し自分を大事にすることはできなかったのか?
レッド・ツェッペリン解散。

その間、ペイジは自宅でほぼ無為な日々をすごし、むき出しの、傷つきやすい状態で—ヘロインとの問題に加えて—暗鬱さの瘴気にさらされていた。
~同上書P468

問題だらけのグループにあって、ボーナムの死は、それに一層拍車をかけたといえる。それでも過去の録音などを整理、アレンジしてリリースされた最後のアルバム「コーダ」はさすがに素晴らしい。ジョン・ポール・ジョーンズは語る。

どれもいい曲だった。かなりの部分がパンクの全盛期にレコーディングされていて・・・ツェッペリンには基本的に、世に出なかった曲がほとんどない。ぼくらは全部を使い切っていた。
~同上書P467

・Led Zeppelin:Coda (1982)

Personnel
John Bonham (drums, percussion)
John Paul Jones (bass guitar, piano, keyboards)
Jimmy Page (acoustic and electric guitars, electronic treatments, production)
Robert Plant (lead vocals, harmonica)

僕たちは何のためにどこから来て、そしてどこへ帰って往くのか。
それぞれに役割があり、そして寿命があり、限られた時間の中で世のため人のため。
すべてを出し切ったとはいえ、それこそがレッド・ツェッペリンだったのだと思う。その意味では、おそらく金儲けのための(?)昨今のリマスター盤などは不要と言えば不要かも。

わずか30分超の収録時間とはいえ、残されたそれぞれの時期の楽曲の素晴らしさ。エネルギー放出量の半端なさ。”Coda(最終楽章)”は、レッド・ツェッペリンが稀代の、無類のバンドであったことをあらためて証明する。中で、ボーナム追悼の”Bonzo’s Montreux”(1976.12.9録音)の破天荒なドラムスに導かれた永遠のマスターピースが燦然と輝く。あるいは、アルバムの劈頭を飾る”We’re Gonna Groove”(1970.1.9Live)の圧倒。また、アルバム”In Through the Out Door”のアウトテイクとなる掉尾の”Wearing and Tearing”の激烈な響きと、最後の音が突然止む時間の、心にぽっかり穴が開いたような悲しみに包まれる瞬間が愛おしい。

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