依然として彼は浴びるように酒を飲んでいた。基本的にボーナムは常時酔っ払っていたと言っていい。ヘロインからは手を引いたことになっていたものの、疑いの目を向ける向きもあった。少なくとも抗鬱剤のモーティヴァルは間違いなく使っていた。
~クリス・セイルヴィッチ/奥田祐士訳「ジミー・ペイジの真実」(ハーパー・コリンズ)P459
あの強烈で重いドラミングの奇蹟は、精神的不安定からもたらされたものなのかどうなのか。ロック史上無比の才能は、事故(?)によりわずか32歳で人生の幕を突然降ろす。1980年9月24日のこと。
リハーサルが終わっても、ボーナムの飲酒は止まらなかった。午後11時には完全に正体をなくし、ソファーの上で眠りこんでしまう。ベッドに運ばれた彼は、横向きにして寝かされた。
翌朝の8時にペイジのアシスタントがボーナムの様子を見に行った。ドラマーはぐっすり眠っていた。どうやら大量の酒が消えるまで、そのまま寝かせておいたほうがよさそうな雲行きだった。
午後になっても彼が姿をあらわさないのに気づいたロバート・プラントのアシスタント、ベンジー・ルフェーヴルは、1時45分にジョン・ポール・ジョーンズを連れてドラマーの寝室に入った。揺り起こしてやろうとすると、ボーナムの顔は青く、脈は止まり、身体は冷たくなっていた。彼は32歳で亡くなった。死因は—吐瀉物の誤嚥。
~同上書P459-460
あっけない死は、人間の命が永遠でなく、儚いものであることを物語る。
それにしてももう少し自分を大事にすることはできなかったのか?
レッド・ツェッペリン解散。
その間、ペイジは自宅でほぼ無為な日々をすごし、むき出しの、傷つきやすい状態で—ヘロインとの問題に加えて—暗鬱さの瘴気にさらされていた。
~同上書P468
問題だらけのグループにあって、ボーナムの死は、それに一層拍車をかけたといえる。それでも過去の録音などを整理、アレンジしてリリースされた最後のアルバム「コーダ」はさすがに素晴らしい。ジョン・ポール・ジョーンズは語る。
どれもいい曲だった。かなりの部分がパンクの全盛期にレコーディングされていて・・・ツェッペリンには基本的に、世に出なかった曲がほとんどない。ぼくらは全部を使い切っていた。
~同上書P467
Personnel
John Bonham (drums, percussion)
John Paul Jones (bass guitar, piano, keyboards)
Jimmy Page (acoustic and electric guitars, electronic treatments, production)
Robert Plant (lead vocals, harmonica)
僕たちは何のためにどこから来て、そしてどこへ帰って往くのか。
それぞれに役割があり、そして寿命があり、限られた時間の中で世のため人のため。
すべてを出し切ったとはいえ、それこそがレッド・ツェッペリンだったのだと思う。その意味では、おそらく金儲けのための(?)昨今のリマスター盤などは不要と言えば不要かも。
わずか30分超の収録時間とはいえ、残されたそれぞれの時期の楽曲の素晴らしさ。エネルギー放出量の半端なさ。”Coda(最終楽章)”は、レッド・ツェッペリンが稀代の、無類のバンドであったことをあらためて証明する。中で、ボーナム追悼の”Bonzo’s Montreux”(1976.12.9録音)の破天荒なドラムスに導かれた永遠のマスターピースが燦然と輝く。あるいは、アルバムの劈頭を飾る”We’re Gonna Groove”(1970.1.9Live)の圧倒。また、アルバム”In Through the Out Door”のアウトテイクとなる掉尾の”Wearing and Tearing”の激烈な響きと、最後の音が突然止む時間の、心にぽっかり穴が開いたような悲しみに包まれる瞬間が愛おしい。