ウーデ ヴァルナイ ヴィントガッセン ウェーバー トラクセル シェルテル クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管 ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」(1955.7.22Live)

本ブログのタイトルはもともとベートーヴェンの作品に由来しているのだが、この「輝きをもって速く」という意味合いの速度記号はベートーヴェンの専売特許(?)のようでもある。
(実態はいちいち調べないのでわからないけれど)
(おそらくベートーヴェンからの影響を大いにあろう)ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」も序曲はニ短調で、アレグロ・コン・ブリオ。

そもそも第1幕からして「アレグロ・コン・ブリオ」で幕を開けたように、「走り、駆ける」快速調(アレグロ)こそ主人公たちのありようそのものである。題名役の名も、その「飛ぶように走るfliegt hin」船に由来する。「さまよえる(オランダ人)」という耳に馴染んだ既訳は必ずしもその疾走ぶりを伝えきれていない憾みがあるのだが。
前へ前へと突き進むゼンタとオランダ人の姿は、「わが道は先へ先へと駆り立て/振り返ることも許さぬ」と慨嘆したタンホイザーに通じるものがある。ただ、ヴェーヌスベルクの異教的な愛欲世界とヴァルトブルクのキリスト教的な騎士社会のあいだを行き来し、板挟みのあげくに行き場を失った歌びととは異なり、『さまよえるオランダ人』の主人公たちの行手には、先に見たように弁証法的な緊張関係をもたらす人物配置も、彼らの疾駆を阻み、その進路に紆余曲折を生じさせるような対抗要因も存在しない。ふたりは真っしぐらに駆け抜ける。

池上純一 解題(台本)「これを愛と呼ぶべきか いや、違う! これは救済への切なる思い」
日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一 編 ワーグナー「さまよえるオランダ人」(五柳書院)P74

池上さんの解釈の深さには常々頭が下がる。疾風の如くの「オランダ人」理解の原点はこういうところにあるのだろうと思う。

・ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」
ルートヴィヒ・ウェーバー(ノルウェーの船乗りダーラント、バス)
アストリッド・ヴァルナイ(その娘ゼンタ、ソプラノ)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(狩人エーリク、テノール)
エリーザベト・シェルテル(ゼンタの乳母マリー、メゾソプラノ)
ヨーゼフ・トラクセル(ダーラントの舵取り、テノール)
ヘルマン・ウーデ(オランダ人、バリトン)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1955.7.22Live)

この世界はすべて「関係」で成り立っている。
しかもその関係は常にバランスをとって存在しているのだということを忘れてはならない。
それゆえに、関係の中に学びがあり、そこにこそ覚醒の種が仕込まれているのだろうと思う。

歌劇「さまよえるオランダ人」の中で、僕がしばしば愛聴するのは第2幕フィナーレ、ダーラントのアリアからオランダ人とゼンタの二重唱、そしてダーラントを交えての三重唱と発展していくシーンだ。ここでオランダ人は(もちろんゼンタも)、目覚めのきっかけとなるゼンタとの数万年の時を経ての邂逅に心中歓喜するのである。

オランダ人 (気持ちを高ぶらせ)
この気高い誓いの言葉から
わが傷を癒す霊薬が流れ出す。
俺を突き放した天地の力よ、聞くがよい、
ついに救いを見出したぞ。
凶運の星よ、色褪せよ!
希望の光よ、新たに輝け!
かつてわれを見捨てし天使たちよ、
今こそ、この一途な心を励ましたまえ!
ゼンタ 不思議な力に圧倒され
この方を救いたいとの思いはつのる。

~同上書P49

クナッパーツブッシュの生み出す音楽は、物理的には「疾風怒濤」とは表現し難い。
しかし、その熱量は間違いなく「電光石火」であり、祝祭劇場の聴衆の体感はまさに時空を超えた「アレグロ・コン・ブリオ」を体験したはずだ。相変わらず音楽はうねる。そしてまた祈りに溢れ、同時に愛の官能に打ち震えるのだ。

歓喜に満ちる、悠々たる三重唱はなおのこと美しい!

ゼンタ (毅然として)
さあ、この手をお取りください! 悔いることなく
死に至るまで誠を尽くすことを誓います。
ダーラント この結婚、決して後悔はさせぬ。
さあ、宴へ! 今日はみんなで楽しく祝おう。
オランダ人
手を差しのべてくれた娘の真心に
地獄よ、恥じ入るがよい!

~同上書P51

そして、舞台は管弦楽の間奏を経て第3幕に突入する。

過去記事(2013年9月15日)


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