岩城宏之指揮NHK響 黛敏郎 バレエ音楽「舞楽」(1967.3.14録音)ほか

武満徹の黛敏郎にまつまる回想。

芥川(也寸志)さんが黛さんに言ったんですね。こういう男がいて、ピアノがないんだと。だからぼくは黛敏郎という人とは全く面識がなかったんだけど・・・。
暑い夏の日にね、突然ピアノが来ちゃったんですよ。予告なしに。これは信じられないような話でしょう。それですぐ住所を調べて黛さんに会いに行ったんですよ。本当にもらっていいのかどうか。黛さんはその当時、桂木洋子さんというきれいな女優さんと結婚したばかりで、奥さんもピアノを持っていたので、あれは女房のピアノなんですって言うの。家に2台あっても仕方がないので、よかったら使ってくださいって。それじゃあ貸してくださいということで。

(武満徹、音楽生活を語る)「マリ・クレール」1990年11月号
立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P199

目から鱗とはこういうことを言うのだろうが、黛敏郎には先見の明があったということだ。ジャンル様々な革新的な音楽を創造した天才ゆえに、人の才能を見破るのは朝飯前だったのだろうと思う。余談だが、80年代からこの頃にかけての「マリ・クレール」は良雑誌だった(当時、ほぼすべての巻を手元に置いておいたが、いつだったかの引っ越しの際処分したことが未だ悔やまれる。そういえば、引っ越し業者の男性が本当に処分してよいんですかと幾度も念を押して聞いてきたことを思い出す)。

実際、黛は天才だった。天は二物を与えずとはこの人には当てはまらないだろうといわんばかりに、あらゆるもの彼の手もとにはおそらく具わっていた。黛敏郎のスターぶりを岩城宏之は次のように語っている。

僕が芸大1年のときが、昭和26年です。芸大のキャッスルっていう汚い食堂でみんなで騒いでた。そしたらキャーッて声が聞こえて、女の子がみんな走ってく。僕は死んだ白木秀雄(ドラマー)と一緒にメンチカツランチか何か食べてた。校門の方から黛夫妻が入ってきたってんでね。男の子はみんな奥さんの桂木洋子さんを見に、女の子は黛さんを見に走っていくんだから、僕たちはひどく面白くなくて、なにがスターだいなんて言ってた。(中略)みんなに取りまかれて、スター、スターで超然としてさ。『紅茶ちょうだい』なんて、言ってたのよ。遠くから、僕はすごいあこがれのまなざしと嫉妬のまなざしで見てたのを覚えている。
(「週刊朝日」座談会)
~同上書P200

尊敬と嫉妬と、そんな思いを抱いた天才の傑作を後に岩城宏之はNHK交響楽団とともに録音している。それらは録音史に燦然と輝く名演奏であり、名録音だと僕は思う。

黛敏郎:
・バレエ音楽「舞楽」(1962)(1967.3.14録音)
・曼荼羅交響曲(1960)第1部(1965.5.31, 7.16録音)
岩城宏之指揮NHK交響楽団

黛の作品は実演に触れない限りその真価はとらえ難い。
いずれの作品をこれまで幾度か聴いているが、その体験をベースに時間と空間を補填しながら耳にすると、黛の音楽は俄然面白くなる。

ニューヨーク・シティ・バレエ団からの委嘱によるバレエ音楽「舞楽」の、どこかストラヴィンスキーの荒々しさに通ずる東洋的雄渾。ただし、一方でそこには内面的嫋やかさが根付いており、この日本的情緒を見事に表現する黛の感性と、この傑作を緻密に構築する盟友岩城のコラボレーションに手放しの賞賛を送りたい(特に第2部半ばの鬼気迫る獰猛さ(?)に僕は興奮を覚える)。

ところで、「曼荼羅交響曲」を耳にするとき、僕はいつもマーラーの交響曲第10番のアダージョを思い出す。もちろんそれは僕の勝手な空想だけれど、それらに通底するのは時間と空間を超越する永遠だ。

あのころ『週刊朝日』で、月にどれくらいお金を使うかと問われて、20何万円と答えていたのを今でも覚えています。大学卒の初任給が1万円あったかなかったかの時代ですよ。映画音楽を沢山やっていたから、それくらい稼いでいたんでしょうが、ぼくらとは全く別世界の人間という感じでした。音楽的にも華麗な存在でした。新鮮な感性の持主で、ジャズを取り入れたり、ヨーロッパの前衛音楽を取り入れたり、いろんな冒険的試みをどんどんやってました。とにかく大変な才能の持主です。
(秋山邦晴)
~同上書P199

過去記事(2016年8月25日)

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