心の叫び、愛の囁き

classica_japan_casals.jpg夏風邪が流行っているみたい。身体を冷やさないことが大切だけど、とっておきの秘策がある。そう、チベット体操。チベットのラマ僧の間で行われていた儀式がその大本らしいが、たった5つの体操で見違えるように復調する。呼吸を深く取ることにおそらく意味があるのだろうが、毎朝起き抜けに30分ほど時間をとり、身体をほぐす運動が身体的・精神的双方にどれだけ効果を発揮してきたか計り知れない。

風邪というのはそもそも病気ではない。チャクラの回転数が不揃いで身体が悲鳴をあげている信号なのである。チベット体操は、呼吸を深くし、チャクラの回転数を整える効能があるからおススメ。しかも、時間をそうはとらないのでなおさらだ。大事なのは、継続することだけ(なかなかこの「継続」が皆さんできないんだけど)。

ところで、あなたは目に見えない世界を信じますか?
それとも科学的に証明できることしか信じられないですか?

視覚、聴覚を考えると、人間は極めて狭い範囲でしか生きていない。先日もテレビでビートたけしの司会で宇宙人について云々する番組があったが、「宇宙人が攻めて来る、攻撃してくる」という前提で番組が組まれており、何だか情けなくなった次第。映画やSFの観すぎなんじゃないか・・・。
人類の歴史は戦争である。嘘をつき、人を欺き人類は永らえてきた。今の資本主義の根本問題も実はそういうところにあるんじゃないか。きれいごとといわれればそれまでだが、そろそろ戦うことを止めて、受容しあうことを始めた方が良いのではないのか・・・?

「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、Peace, Peace(平和)と鳴くのです」
生涯「世界平和」のために音楽を通じて活動し続けたパブロ・カザルス。上記は、彼がニューヨークの国連本部でのコンサートの際、カタロニア民謡をチェロのためにアレンジした「鳥の歌」を演奏する前に語った言葉である。録音では、ケネディ大統領に招かれ、ホワイトハウスで披露した歴史的な演奏が有名。聴いていて涙が出るほど美しい(実際にコンサートでは泣いていた人もいるだろう)。

CLASSICA JAPANプレミアムCD(非売品)
カザルスのEMIにおける最後の録音が収められている。

・ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調作品101Hob.Ⅶb-2(第3楽章未収録)(1945.10.15録音)
・ハイドン:ピアノ三重奏曲ト長調作品73-2Hob.ⅩⅤ-25(1926.7.6録音)
・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007(1938.6.2録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
サー・エードリアン・ボールト指揮BBC交響楽団

楽曲解説には上記ハイドンのコンチェルトが未完になった経緯が書かれてあるので、その部分を抜粋しておこう。

エルガーの協奏曲が録音された1945年10月14日、エルガーを収録し、その残りの時間でハイドンが録音されることになっていた。ところがこのエルガーの録音に丸一日が費やされてしまい、翌15日にハイドンの録音は延期されたのはよかったが、この日、BBC交響楽団は、午後から別の録音予定が組まれていたため、結局午前中の数時間しかハイドンに当てる時間がないという状況となった。そのため結果として第1楽章と第2楽章しか録音されず、第3楽章は別の機会に録音されることとなった。この録音から2日後の10月17日から、カザルスは、イギリス国内のコンサートツアーが予定されていた。実はこのツアーは、イギリス政府がスペインのフランコ体制に対して何らかの政治的措置をとってくれるだろうというカザルスの思惑があって、それに対する感謝の気持ちを表現するために行われることになっていたらしい。ところが、イギリス政府は、カザルスが希望するような政治的措置を取ってくれなかった。カザルスはこれに憤慨し、ツアーを中止するとともに、公開演奏からの引退を一気に宣言してしまった。これにより、この後のEMIへの録音もすべて中止されるという憂き目をみることになった。
(未完のハイドンのチェロ協奏曲をめぐって~幸松肇)

なるほど、いつの時代も「政(まつりごと)」にはそれぞれの思惑が錯綜し、どろどろとしたものがあるのだろう。第2次大戦中の連合軍の行動の背景には一般にはまだまだ知られていない「裏」がありそうだ。それでも芸術家というのは純粋で正直者が多い。カザルスなどはその最右翼じゃなかろうか。彼の遺した録音はチェロであれ指揮であれ、「愛」に満ちていながら、心の叫びを伴った「慟哭の調べ」でもある。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>そろそろ戦うことを止めて、受容しあうことを始めた方が良いのではないのか・・・?
世界や日本の人口が、明らかに許容範囲を超えており、それが深刻な食糧や資源の争奪戦を誘発しかねず、また一方で民族や宗教、政治の深刻な対立もあります。経済的に貧しかったり、様々な不安定要素を抱えた国は対抗措置として核兵器を持つ・・・、カザルスが夢見た世界平和への道のりは険しいですね。
パラドックスの難題をひとつ。
私の経験上、カザルスのバッハ「無伴奏」やメンゲルベルクのバッハ「マタイ」、フルトヴェングラーのベートーヴェン「第九」、ヴァントのブルックナーの交響曲などをこよなく愛する、生粋でコアなクラシック音楽マニアになっていけばいくほど、多様な民族や文化を認めず、逆に極めて視野が狭く排他的な、原理主義的価値観の心になっていきがちです。
また、例えば西洋音楽の基盤である宗教音楽って、本当に人の心を本当に豊かにし、心を浄化しているのでしょうか?単なる特権階級の自己満足に過ぎないのでは?結局そういうことの積み重ねが宗教対立や戦争を巻き起こしているのでは?
結局クラシック音楽は世界平和に反しているのではないのでしょうか?(大いに反論をお聞きしたいところです、私もクラオタの端くれですので・・・)
どうせ人の一生なんて長く生きられても百年ちょっとのちっぽけなものです。次の世代のDNAが幸せになれるように、現実逃避せず、ちっとは真剣に考えろ!!!!!と、世界の皆様に訴えたいです。
ご紹介のカザルスのプレミアムCD、未聴です。これは貴重ですね! それにハイドンのコンチェルトが未完になった経緯も知りませんでした。ありがとうございます!勉強になりました。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>例えば西洋音楽の基盤である宗教音楽って、本当に人の心を本当に豊かにし、心を浄化しているのでしょうか?単なる特権階級の自己満足に過ぎないのでは?結局そういうことの積み重ねが宗教対立や戦争を巻き起こしているのでは?
これはagreeです。宗教というもの自体がそもそも「人為的」なものですから、「天意」は超えられないかな、と。要するに、「形」にしてしまう時点で矛盾が生じてくるのではないかと思うのです。信仰心は大切ですが、宗教はかえって対立を生むだけだと僕は考えます。
それはクラシック音楽にもいえると思います。カザルスのバッハ、メンゲルベルクの「マタイ」、フルトヴェングラーの第9。少なくともこれらは音盤という「形」で残され、後世の人々が「神棚に祀るかのよう」に偶像化したものに過ぎません。その「偶像」にしがみつくことで、おっしゃるとおり「極めて視野が狭く排他的な、原理主義的価値観の心」に陥ってしまうのかなとも思うのです。
ただし、ヴァントのブルックナーはちょっと同列では語れません。なぜなら、僕は少なくとも実演を聴いているので、あの素晴らしさは一生忘れられないからです。でも、最後の来日ライブのCDを今も大事に聴き込んでいるか?といわれたらけっしてそうではありません。ましてやヴァントを「偶像化」もしません。ヴァントのブルックナーだけを崇め祀って、これ以外は認めないというのは一種の「ヴァント教」のようなものですが、当時の最高の思い出を内に秘めつつも、それ以外のブルックナーも楽しむというのであれば、それはブルックナーの音楽に対する「信仰心」に近いんじゃないかと思うのです。
>結局クラシック音楽は世界平和に反しているのではないのでしょうか?
クラシックと言ってもいろんな音楽がありますし、演奏家の波動によっても変わりますからねぇ。クラシックに限らず音楽そのものに「平和」を喚起する要素があるように僕は思います。やっぱり、土俗の民俗音楽をはじめ、あらゆるジャンルの音楽を享受することが大切ですね。

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