アバド指揮ロンドン響 ムソルグスキー 聖ヨハネ祭の夜の禿山(交響詩「禿山の一夜」原典版)ほか(1980.5録音)

時折ムソルグスキーの音楽が無性に聴きたくなる時がある。
文豪ドストエフスキーと同時代を生きた彼の音楽は、同じく人間の冬の心理の奥底を抉るような「新しさ」と「荒々しさ」が錯綜した前衛だ。

フョードル・ドストエフスキーは生来の癲癇持ちだった。
発作は事あるごとに起き、それは晩年まで彼を、そして家族を困らせた。夫人であるアンナは後に次のように回想している。

夫はてんかんの発作からまだ十分意識をとりもどさないうちに、いつもわたしのところにやってきた。そんなとき彼は神秘的な恐怖をおぼえたが、親しい者の顔を見ると、それがおさまるからだった。
アンナ・ドストエフスカヤ/松下裕訳「回想のドストエフスキー2」(みすず書房)P201

癲癇の最中のドストエフスキーは(夫人曰く)「神秘的な恐怖」の内にあったことが興味深い。
西洋医学的な見地から病名をつけると「癲癇」ということだが、根拠を詮索しない異なる視点から見ると、それは病気ではなく、むしろ天とつながる創造の霊感のためのツールだったのではないかと思わせられる節がある。

モデスト・ムソルグスキーの場合も然り。
彼の場合は、もっと後天的な、アルコール依存症から生ずる狂気こそが創造の原動力だったのではないか。特に第一念、つまり原典と称される数多の作品を聴くにつけ、尋常ならざる斬新さ、革新性をアントン・ブルックナーの場合と同様いつも感じるのである。
荒涼な精神と聖なる精神の拮抗。
音楽は祈りに満ち、神を讃え、世界を平和に導く。自身の心身がどれほど壊滅的な状態に陥ろうと、それゆえの精神性、魂の解放が音の隅々にまで行き渡っているのである。何という驚異!!

ムソルグスキー:
・歌劇「ホヴァーンシチナ」~第4幕第2場への間奏曲(追放されるゴリツィン公の出発)(リムスキー=コルサコフ編曲)
・ヨシュア(リムスキー=コルサコフ編曲)
・歌劇「サランボー」~巫女たちの合唱(リムスキー=コルサコフ編曲)
・スケルツォ変ロ長調
・センナヘリブの敗北(リムスキー=コルサコフ編曲)
・聖ヨハネ祭の夜の禿山(交響詩「禿山の一夜」原典版)
・歌劇「アテネのオイディプス」~神殿の人々の合唱(リムスキー=コルサコフ編曲)
・歌劇「ホヴァーンシチナ」~前奏曲「モスクワ河の夜明け」(リムスキー=コルサコフ編曲)
・凱旋行進曲「カルスの奪還」(リムスキー=コルサコフ編曲)
ゼハヴァ・ガル(コントラルト)
ロンドン交響楽団合唱団(リチャード・ヒコックス指揮)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(1980.5録音)

やっぱりこれはクラウディオ・アバド屈指の名演であり、名盤だ。「禿山」原典の「聖ヨハネ祭の夜の禿山」は一世一代の作品であり、名演奏であるのは当然ながら、リムスキー=コルサコフによる編曲が入るものの「センナヘリブの敗北」や「神殿の人々の合唱」の美しさに舌を巻く。あるいは前奏曲「モスクワ河の夜明け」の荘厳な響き!

夫は意識を失っていた。子どもたちとわたしは枕辺にひざまずいて涙を流し、泣きわめきたいのを懸命にこらえていた。人が死ぬとき最後まで働く感覚は聴覚で、静けさを少しでも破れば、臨終の苦悶をおくらせ、苦しみを長びかせることになると医者から言われていたから。夫の手をにぎっていると、脈がだんだん弱まって行くのがわかった。晩の8時36分、フョードル・ミハイロヴィチは息を引きとった。駆けつけたチェレプニン医師は、臨終の鼓動をはかることができただけだった。
~同上書P218-219

死への恐怖、転生への不信、潜在的な不安こそが芸術創作の源泉なのかもしれない。文字通り「負の美学」。ムソルグスキーの厭世観にアバドの楽観が加味されて最高の名演奏が成し遂げられたのだろう。永遠不滅。

過去記事(2017年5月14日)

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