おお、永遠の夜よ!

久しぶりにフルトヴェングラーのモーツァルトを幾つかとり出して聴いてみた。
というより、クラシック音楽を聴き始めた当初からフルトヴェングラーは僕にとって最も大切な指揮者の一人で、残された録音のほとんどは耳にしている。マニアではないので同録異盤を蒐集する「癖」はないが、正規録音盤はほぼ全て揃えた。ベートーヴェンなど未だに彼の録音がベストだと言い切れる音盤が多い中、モーツァルトに関してはどの録音もどうも「重すぎ」、長いこと聴かず嫌いで、棚の奥に眠ったままの音盤が多かった。
つい先日、ワルターの40番をじっくり聴いたときに、フルトヴェングラーがEMIに残した録音も聴いてみた。昔、初めて聴いたときは、まさしく「疾走する哀しみ」という言葉通りの演奏で、そのテンポの速さに驚くと同時に、フルトヴェングラーらしいとはいえない(と思った)演奏にがっくりし、これもきちんと聴かずに放ったままになっていた。ところが、何十年も経てあらためて聴いてみると意外にいいのである。テンポも予想していたほど違和感が無いし、自分が年をとったせいか「むしろ感動した」といっても言い過ぎではない。

そして、1951年ザルツブルク音楽祭ライブの歌劇「魔笛」も聴いてみて、やはり目から鱗が落ちる思いだった。序曲の重々しいテンポやその後に続く全体の流れ(ディナーミク、アゴーギクどれをとっても)は明らかにフルトヴェングラー節で、いかにもという「形而上性」が逆にツボにはまり、こちらも意外なことに全2時間半ほどを一気に聴いてしまったのである。ひょっとするとLP時代から含め音盤は古くからもっていたもののしっかりと全曲を通して聴いたのは初めてかもしれない。

モーツァルト:歌劇「魔笛」K.620(1951Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヨーゼフ・グラインドル、アントン・デルモータ、イルムガルト・ゼーフリートほか

「魔笛」は、哲学的・宗教的・社会的・政治的・科学的オペラだといわれる。そういう観点から指揮できる音楽家はひょっとするとフルトヴェングラーくらいなのかもしれない。

「おお、永遠の夜よ!いつ汝は消え去るのか?いつわが眼は光を見いだすのか?」

暗鬱とした重々しいデモーニッシュな演奏の中に一条の光が明滅する唯一無二の演奏。50年以上前のライブ録音ゆえ音は決して良くない。しかし、鑑賞には充分耐えうる。

ところで、フルトヴェングラーのモーツァルトを誉める評論家は多くない。この「魔笛」についても否定的な見解が多い。しかし、その本質的な意味深さを聴き逃すまいと聴けば「尋常でない崇高さ、哲学性」は直観的にわかるはずなのだが・・・。おそらく、1951年8月6日、ザルツブルクのフェルゼンライトシューレで生演奏に触れた聴衆だけが真の「魔笛」を味わえているのかもしれない。

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