カラヤン指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第8番(ハース版1890年稿)(1988.11録音)

カラヤンの死とともに、譜面台の独裁時代が終わった。おびただしい追悼記事が出たが、そこではカラヤンへの批判が渦巻いた。
「彼は悪い人間で、結局、一流の指揮者ではなかった。彼の行使した権力は、その才能に比べて大きすぎた。音楽界は彼がいないほうが良くなるだろう」。ロドニー・ミルンズは英国の雑誌「オペラ」にこう書いている。よく知られているように、カラヤンの遺産は5億マルクに達した。彼の金儲け主義とともに、オーケストラの「法外な強欲さ」もまた、しばしば非難の対象になった。

ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P340

実際カラヤン像は当時メディアによって作られた虚像だった。
確かに「金儲け主義」といえばそうなのかもしれない。そんなことを言えば、リヒャルト・シュトラウスだって同じようなものだったと聞く。後世の人間がシュトラウスの金満主義を今さらどうのこうのと批判し、彼の音楽を聴かなくなっているのかといえば、否。カラヤンの再生芸術に関しても、根強いファンはやっぱりたくさんいるのだと思う。
(その意味で)批評こそ、人を惑わす、そして迷わせる源なのではないだろうか。誰しも自分の目で、自分の耳で確かめるしかなく、その上での判断は是もあり非もあるのが当然だ。

ベルリン・フィルとのいざこざにより、カラヤンは最晩年手兵を後にした。
そして、以降彼の芸術を共に創造したのがウィーン・フィルだった。
当時、僕はオンタイムでカラヤンを聴いていない。いや、情報に迷わされ、聴こうともしていなかった。お恥ずかしい限りだ。

亡くなる前年の楽友協会大ホールでの録音は、ブルックナーの交響曲第8番。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版1890年稿)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.11録音)

悠久のテンポで進む後半2楽章が圧倒的に素晴らしい。
昔なら無機質と片づけていた第3楽章アダージョのティンパニの一撃など死者をも目覚めさせるような強烈な一撃。
終楽章などはやや推進力に欠けるとはいえ、分厚い響きながら透明な音楽に、カラヤンのほぼ「白鳥の歌」の感あり。

ブルックナーは、自分の作品が神聖な力により着想を得たと考えていた。「内からの声」に聞き入り、神を見上げ、「作品中のすべての音符で神への賛美を歌い上げた」のである。彼は、「信じ、依り頼む者だけが、真の平安と主の栄光を見出すという確信」を強く抱いていた。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P162

カラヤンの指揮する第3楽章アダージョこそ真の平安を表すものであり、また終楽章は主の栄光を見出した確信そのものではないのか。この時のカラヤンにはまるでブルックナー自身が加霊していたようだ。

過去記事(2021年8月19日)カラヤン指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第9番
過去記事(2021年8月18日)カラヤン指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第7番

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