天使と悪魔、脱二元論

研修の初日を無事終える。こればっかりは毎回蓋を開けてみないとどうなるかわからないところが怖くもあり面白くもあるところ。今回は男性3名に再受講生2名という構成。しかし、さすがに自前で受講料を払って参加しようとする前向きな方達だけあり、とても素直なところが良い。

今日は僕の中でもいろいろとスイッチが入ったようで、講義では「自分自身と自分以外の人・物」という境界や殻の話に始まり、コミュニケーションにおいて「他者」を意識した交流が非常に重要だということ(逆に言うと、自分に意識が向いたとき、つまり「我」に入ったときに諸々の問題が生じてくるのだということ)を体感的に学習していただけたことが収穫であった。たとえ5分でもいい、真っ白になって相手のことだけを受容しながら共感・理解し、聞く姿勢を保てればとても深い交流が可能なのだ、ということをあらためて気づかされた(人は他者の話を聞いているときも、常にどこかで自分のことを考えたり、次に何をしゃべろうかついついしてしまう瞬間がある)。それはとても難しいことだが。

ラヴェル:夜のガスパール
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

ピアニスト泣かせの超絶技巧難曲。フランスの詩人、アロイジュス・ベルトランの散文詩にインスパイアされてラヴェルが作曲した楽曲。ちょうど発表されて今年で100年目だ。ベルトランの詩では「ガスパール」は悪魔の名前。不気味な暗さを秘めた動きの細かい音楽が続く。さすがに若き日のアルゲリッチだけあり、技巧もさることながら、「心」を反映した演奏を繰り広げる。名演だ。

「水の精」
窓を叩いて囁きくどいた果てに、
拒まれると、
怨み顔に涙を流し甲高く笑い、
ガラスをつたう時雨となって消えた

「絞首台」
絞罪人の亡骸を夕陽が真っ赤に染めて、
眼下の城壁の中からは鐘の音が執拗に響いてくる

「スカルボ」
寝間の暗がりで笑い、
寝台の帳に爪をたて、
天井から舞いさがって一本足で独楽みたいにまわったり、
ころげまわったり、
気絶したかと思うと寺院の鐘楼ほどにも伸び、
青く、白く、
透明になったあげくふっと消え失せた小人

人は誰でも「二元論」的な物の見方をついついしてしまう。「善悪全てを含めて事実である」ことを受容できる「心」を培うことだ。それを「真空」というらしい。

⇒旧ブログへ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む