ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 ミシェル・コルボの「ヨハネ受難曲」

La_folle_journee_au_japon_2015ステージと分断されるがゆえの法悦というのか、あまりに客観的なイエスの物語に僕はのけぞった。はっきり言って臨場感は薄い。しかしながら、現代人が信仰と理性を分け隔ててしまったという事実あってこその不思議な聖なるパッション(情熱)を俗世間(外界)から見下ろすような、そんな錯覚にとらわれた正味2時間だった。
バッハの音楽は真に厳しい。そんな固い音楽を緩めたのがエヴァンゲリスト(福音史家)の清澄な声。全編を通じて活躍するエヴァンゲリストは、「ヨハネ受難曲」のある意味要といえるが、今宵のこの人は大いに力を振り絞って頑張ってくれた。終演後に、真っ先に指揮者がエヴァンゲリストに手を差し伸べ、拍手を浴びていた姿が実に尊い。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015
PASSIONS(パシオン) 216
2015年5月3日(日・祝)20:30開演
東京国際フォーラムホールA(デカルト)
ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
・J.S.バッハ:ヨハネ受難曲BWV245

第1部冒頭の合唱からバッハの崇高な世界が眼前に広がる。しかし、コルボ率いるアンサンブルの調子はいまひとつ。ゆっくりとギアを上げるように、徐々に本領を発揮する彼らの生み出す音楽は第11番のアルト・アリアで一気に開いたよう。ここでのオーボエの美しい旋律と確信に満ちる通奏低音を伴奏に歌われるカウンターテナーの巧さが光った。
それにしても最初から最後まで、コラールはどこをどう切り取っても音楽的に素晴らしい。例えば、第15番コラールの圧倒的存在感は、強弱を使って感情を見事に表現するところ。

たれぞ汝をばかく打ちたるか、
わが救いよ、はた汝にもろもろの責苦を
かくもいたく負わせたるか?
まことに汝は罪人にはあらず、
われらとわれらが子らのごとくならず、
悪事を知らざるおおけなき身にていますに。

白眉はやっぱり第2部だろう。ここからは一気に空気が変容する。
第21番コラールの哀しみはいかばかりか。

われらを救いたもうキリストは、
なんらの悪事をも働きたまわざるに、
われらに代わりて、暗き真夜中、
盗人のごとく捕えられ、
神を恐れぬ輩の前に引き出され、
偽りの罪にて訴えられ、
嘲りと辱めと唾とを受けたまえり、
そはまことに聖書の告げしごとくなり。

ちなみに、イエス役のバスは声量的に少々物足りないように感じられたが、第31番アリオーソに見る頼りなげで優しい歌に逆に心奪われた。そして、いよいよイエスがゴルゴダの丘へと連れ行かれる第48番合唱付きアリアでは、音楽がうねり、聴衆を見事に煽動する(とはいえ、ここでのバスはやっぱり物足りない)。合唱の”Wohin?”(いずこへ?)が浮かび上がる瞬間の崇高さよ!

さらに、第52番コラールの厚い音響と情熱に感動。
刻一刻と終曲に近づき行く中、第58番以降は「ヨハネ受難曲」のクライマックスになるが、悲しみの表出は薄い。哀惜感は伝わるものの音調がどうにも明るすぎるのである。しかしながら、アラ・ブレーヴェでの勢いは素晴らしく、アダージョに戻っての「こと果たされぬ」の儚さに感動。

そして、第65番のコラールの美しさは際立っていたが、それよりも第67番合唱の高みと最後の第68番コラールの優しさ!!
俗世から垣間見るこの聖なる調べこそ、ひとときの大いなる癒しなり。
ミシェル・コルボの「ヨハネ受難曲」に乾杯!

※太字対訳は、杉山好訳による

 

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