
ザ・ビートルズという事件。
ジョン・レノンはそれは幻想だと言った。本人がそう言うのだから、ザ・ビートルズは間違いなく幻だったのだろう。しかし、地域を問わず、年代も問わず、普遍的な人気を博するザ・ビートルズ以上の音楽グループは今後も出現することはないだろう。
武満徹はビートルズに触発され、渾身の編曲版を創造した。
センス満点の、例えばギター一本で、切ない、情感こもる、色香溢れる”Yesterday”が素晴らしい。それに触発され、ザ・ビートルズのアレンジ版をいろいろと漁る中で素敵な作品に出逢った。なんとルチアーノ・ベリオが手掛けた美しい編曲版。
その存在を迂闊にも僕は最近知った。
私が何故、声というものにこれほどこだわっているかをお話しておこうと思います。それは、私たちが声によって様々なことを発見できるからです。
例えば楽器です。楽器のために、私たちはモデルが必要なのです。そして楽器のモデルは、多くの場合、声でした。さきほども申し上げたように、声そのものを楽器とする考え方は古くからありましたし、ほんの数世紀前まで、声はすべての音楽のモデルだと考えられていました。ですから、多くの楽器は声をモデルにし、声を真似てつくられてきたのです。
一方、バロック時代に入ると、今度は楽器からインスピレーションを得て楽器的な声を出したり、楽器にあわせて声を使うという発想も生まれました。
このようにして、何世紀にもわたって、声と楽器との交感が行われてきたのです。
そして今、その交感は、一層深いものになりつつあります。新しいテクノロジーによって、私たちは、声の音響的領域と意味的領域の両方を探索することが可能になったのです。その両者を対立するものとしてではなく、ひとつの連続体の中に存在するものとして考え、創造に役立てうる時代が、ようやく来たのだと言っても過言ではないと思うのです。
(1992年5月23日、紀尾井町俱楽部にて)
~「武満徹著作集5」(新潮社)P187
武満徹と現代音楽家の対談はいずれもが実に知見に富んだものだが、ベリオとのそれも興味深い内容だ。確かにベリオの編曲したビートルズ・ナンバーはいずれも声と楽器の交感であり、ときにバロック的、ときに現代的と、時空を超えたアレンジメントが成されていて、思わず何度も聴き返したくなるものだ。何よりこの編曲が、ザ・ビートルズがまだ活動中であった1967年のものだということが奇蹟的。ベリオの審美眼、そしてあらゆる音楽に知悉するその才能に舌を巻く。
いずれも絶品だが、”Yesterday”におけるフルートとハープシコードによる伴奏によって一層バロック的な響きを獲得しており、バロック・オペラの、カウンターテナーによるアリアを髣髴とさせる美しさ。まったく違和感のない新たなアレンジにベリオの天才を思う。同時に、ザ・ビートルズはやっぱり時空を超えた存在なんだと痛感する。