フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン第5番(1947.5.27Live)ほかを聴いて思ふ

一期一会のドキュメント。
戦争によって廃墟と化した世界を背景に繰り出される音楽の生々しさと神々しさ、否、言葉にならぬほどの人間臭さを醸す交響曲ハ短調。思念が溢れ、感情にも翻弄され、いかにも理性を吹っ飛ばす、興奮の極み。

1947年、ようやくベルリン・フィルハーモニーを指揮できる状況になり、5月25日から29日にかけて、前後4回の演奏会の指揮台にフルトヴェングラーは立つ事になった。廃墟のままのベルリン、戦後のおそろしいほどの衣食住の窮乏が続いていた時代である。1枚の入場券のために幾日も前から行列に並んだ人や、当時、貨幣なみに通用していた貴重な配給のコーヒーやタバコ、中には大切にしていた自分の靴を差し出す人もあったという。
(小林利之)
~POCG-2131ライナーノーツ

復帰コンサートの冒頭に奏されたのは「エグモント」序曲だが、序奏部のゆっくりと歩を進めながら強烈なパッションを投影する音楽に、(録音の上からでも)金縛りに遭うが如し。当日、ティタニア・パラストに集まった聴衆は、魂から震撼し、声も出なかったことと思う。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1947.5.27Live)
・「エグモント」序曲作品84(1947.5.27Live)
・大フーガ変ロ長調作品133(1952.2.10Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

もはや説明不要の、全身全霊の交響曲第5番ハ短調。まるで生き物であるかのような伸縮自在の音の魔法。古い録音を超えて、音楽の、ベートーヴェンの神髄が痛烈に表現される。

今日こそようやくドイツへ発てそうです。ここまでこぎつけるのがたいへんだったのです。まず連合国の声明が再三にわたって延期され、それからいきなり噂が流れて、ヴィザは下りないだろうとのことでした。現在どんな政治的雰囲気がベルリンを支配しているかを聞き知っていれば、これはもちろん怪しむに足りません。ベルリンもウィーンも、いわば第2のトリエステとなってしまったのです。そして、悪いことには、ちょうどこの両都市が従来のぼくの根拠地で、そこから—内的にも外的にも—離れるのはきわめてむずかしいという事情があるのです。
(1947年5月20日付、ルートヴィヒ・クルティウス宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P191

直前のフルトヴェングラーの心境たるや・・・。
積もり積もった感情が、ようやく解放されるときの爆発的エネルギーが、ベートーヴェンの音楽と同期する。

そして、1952年2月10日の渾身の大フーガ!!
筆舌に尽くし難い哲学的重厚さは、もちろん晩年のベートーヴェンの成せる業だが、弦楽合奏版によるフルトヴェングラーの、思いの丈の詰まった演奏は、はるかかなた大宇宙の果てまで僕たちを誘うような出来。聴けば聴くほど、噛めば噛むほどその神髄に迫ることのできる崇高な音楽美。

ベートーヴェンの音楽は統合的である、と同時にまた豊かな交替に織りなされています。男性的なものと女性的なもの、峻厳なものと優雅なもの、最も隠微を極めた細部と広大な視野を一望の下に収める稜線と—いっさいはここにその神秘を孕んだ配慮の下に統合されて一体となっています。このようにしてベートーヴェンはまず何よりも偉大な「立法者」でした。
(「ベートーヴェンと私たち—「運命」第1楽章のための注意―」)
フルトヴェングラー/芳賀檀訳「音と言葉」(新潮文庫)P72-73

陰陽相対を超えた一なる世界の現出こそが、ベートーヴェンの生涯のテーマだった。フルトヴェングラーの含蓄を含んだ言葉が重い。

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