ハスキル&マルケヴィチ指揮ラムルー管 ベートーヴェン第3番(1959.12録音)ほかを聴いて思ふ

少なくとも録音を聴く限りクララ・ハスキルのピアノの音は極めて女性的だ。言葉を選ばずに言うと、優しいというよりとても弱々しい。
ただし、これが実演だったならば、得も言われぬ、幽き音に僕たちは真に言葉を失うのかもしれぬ。音楽とはやはり一期一会の、時間と空間を共有しての芸術なのだと思う。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37。
彼女の、第1楽章アレグロ・コン・ブリオに、僕はもどかしさを感じる。これはもっと暗い情熱を秘めた、それでいて雄渾な音調を醸す楽章のはずだ。
しかし、第2楽章ラルゴに入るや、イメージは一変する。清廉かつ透明、その音の、祈りを含む波動に思わず僕はのめり込む。そして、そのままの調子で奏される終楽章ロンドに、愉悦の感情さえ覚えてしまう。クララ・ハスキルとは、実に不思議なピアニストだ。

「音」は音楽の生命である。
しかも、その生命は一瞬にして消える。
何とはかないことだろう。
だから、私たちはそのはかないものの生命を大事にし、
こよなく愛する。

ONTOMO MOOK「吉田秀和—音楽を心の友と」(音楽之友社)P110

吉田秀和さんのこの言葉に僕ははたと膝を打った。
なるほど、ハスキルのピアノにあるのは弱々しさなどではなく、はかなさだ。残念ながらその風趣は録音には入っていない。

・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37(1959.12録音)
・ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21(1960.10録音)
クララ・ハスキル(ピアノ)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮ラムルー管弦楽団

一方、ショパンの音楽はハスキルの手の上だ。死の2ヶ月ほど前のこの演奏は、音楽が躍動し、どの瞬間も芯から神々しい。特に、第2楽章ラルゲットの(まるで少女のような)切なさの表現、抑圧された感情の発露は他を冠絶する。また、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの確信に満ちた堂々たる調べの創出。音楽は時に激しく、そして、時に柔らかく。

この道の奥儀を極むる所なるべし。一大事とも、秘事とも、ただ、この一道なり。
世阿弥著/野上豊一郎・西尾実校訂「風姿花伝」(岩波文庫)P58

たぶんこれは死を前にした老境の、最後の光なのだと思う。
それほどに音楽は透明でありながら大いなるパッション(情熱?あるいは受難?)を秘める。

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7 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

おじゃまします。このベートーヴェンの3番を聴きました。岡本さんのご感想と全く同じことを感じました。1楽章で、デモーニッシュさが足りない!とちょっとがっかり、2楽章は美しさにうっとり、3楽章は、こんな弾き方もいいなぁ、という感じ。(語彙が貧しくてお恥ずかしい)クララ・ハスキルのベートーヴェンを初めて聴きました。これまで、ハスキルといえばグリュミオーの伴奏者としての認識しかなかったのです(お恥ずかしい)。ピアノソナタ「テンペスト」と18番も聴いてみました。特に18番2楽章スケルツォと4楽章プレスト・コン・フォーコがリズミカルな独特なタッチを感じて面白かったです。ハスキルを聴く機会を、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

はい、協奏曲第3番はどうにも歯がゆい演奏です。一方、「テンペスト」やソナタ第18番は良い演奏だと思います。
ハスキルはたぶん実演で聴くべきピアニストなんだと思います。

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ナカタ ヒロコ

また、おじゃまします。ハスキルに興味がわき、この流れでミュンシュ指揮ボストン交響楽団とのベートーヴェン3番を聴きました。モノラルのライブです。この1楽章は最後の方でとても煌びやかで華やかな素晴らしい演奏が聴け、会場の聴衆も思わず拍手をしています。終楽章が終わった時は2~3分は拍手がやまないほどの会場の興奮が窺われました。私も、思わず「これはすごい。」と思いました。儚げなハスキルもミュンシュさんのラテンの血がなせるオーケストラの熱気にインスパイアされたのかな?とも思いましたが、ガラス細工のようにキラキラした美しい音はデリケートでした。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

ハスキルのライブ音源のご紹介ありがとうございます。ミュンシュとのものは聴いたことがなかったので聴いてみましたが、おっしゃるとおりスタジオとは別人で素晴らしいですね。ハスキルは間違いなくライブの人なんだと思います。おそらくミュンシュ&ボストン響のサポートの力も大きいのでしょう。
ありがとうございます!

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 おせっかいに持ち出した演奏を聴いてくださり、ありがとうございました!また聴いた感想に賛同していただけてうれしいです。
 時に、岡本さんは、ハスキル、リヒテルを「ライブの人」と言っておられますが、その意味をお尋ねしていいですか?聴衆を前にするからこそ熱が入ってよい演奏になる、という意味ですか、または音色がデリケートで、生で聴かないとその音のよさが伝わらない、という意味ですか?また他の理由でしょうか?すみません。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

ご指摘のいずれもが含まれています。
ただ、どんな音楽もライブには敵わないので、どちらかというと「聴衆を前にするからこそ熱が入って良い演奏になる」という方が意味合いとしては強いです。

リヒテルは晩年、プログラムをリサイタル当日まで伏せていましたが、ライブならではの、聴く側としてはドキドキの方法でしたよね。あくまでリヒテルを聴くのだから、作品は何でも良いのだと、そのとき彼がベストだと思うものを聴衆に披露するのだから聴け!という姿勢が何とも素敵だと僕は思います。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 お応えくださり、ありがとうございます。了解しました。 やはりライブには一期一会の臨場感があるんですね。リヒテルはそんなにライブを大切にしていたんですね。ライブを、音楽の本質意外のことで影響を受けたくない、とやめてしまったグールドのような人もいるし、いろいろですね。
 ところで、また戻るのですが、ハスキルのこのショパンの協奏曲2番を聴きました。今まで何回か聞いて馴染んでいる曲調とは違うものを感じました。どこが今までの演奏と違うか私なりに考えてみると、ロマンチックに流れない、という言葉が浮かびました。うっとり、しっとりとした叙情で歌うのではなく、飾らずとつとつと真面目に語る、という感じでしょうか。不思議なピアニストだと思いました。ウィキペディアによると、ハスキルはコルトーの門をたたくも、「家政婦が演奏しているようだ。」と言われて追い返され、ろくに指導してもらえなかったそうです。最初はコルトーが女性差別をしたのでは?と思ったのですが、このハスキルのショパン演奏を聴くと、コルトーの趣味と合わなかったからかな、と思えました。といってもコルトーの演奏について知っているわけではないのですが、ショパン弾きの神様のように慕われていることからの推察です。コルトー時代の演奏スタイルから見ると、ハスキルは現代的すぎたのかも、というのは考えられないでしょうか。ハスキルが脚光を浴び始めるのは、50代からだそうですし・・・。勝手なことを書き散らしてすみません。

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