眼鏡、カメラ、皇帝

昨年末、「東京ハガキ祭」で会った方からいただいた豊福厚至氏の「眼鏡のはなし」という本。一般書店では売られていないので目にすることはないと思うが、なかなか面白かった。僕も子どもの頃は視力2.0でとても良かったのだが、遺伝のせいか、テレビの見過ぎか、はたまた勉強のし過ぎか(笑)、高校生頃からだんだんと悪くなり、今では眼鏡がないと生活はままならない。眼鏡などは視力を適正に矯正してくれるものであるなら何でもいいと思っていたが、どうやらそうではないらしい。やはり自分の顔かたちやバランスまできちっと考えて「正しい」眼鏡を合わせることがとても重要なのだということだ。
この本にも書いてあったが、眼は単に物を認めたり、見分けるだけでなく、精神世界(自分)と現実世界(外界)を結ぶ窓口だというのだ。そして、眼鏡は、その眼の働きを助けて、光の信号をより多く、よりスムーズに取り入れるお手伝いをする道具だという。だから大事なんだと。なるほど。

夕方、久しぶりにフリーカメラマンのTと会う。彼はアフガニスタンなどに撮影旅行に出掛け、とても冒険的な写真を撮る。今日も作品を見せてもらったが、「光」の加減が絶妙で美しく感動的。それに人の表情がとても自然なところがこれまた良い。
彼は、被写体に向かうときに自分自身を極限の状態になるべく置くようにするのだという。例えば見知らぬ言葉も通じない国に赴き、自分自身を「孤独」な状態に閉じ込める。そうすることによって、自分という「精神世界」をカメラという媒体を通じて「外の世界」と通じ合うように(ピントが合うように)なり、良い写真が撮れるのだという。なるほど。

人それぞれ媒体は何でもいいのだ。ピアニストはピアノという楽器を媒体にして他者とつながろうと試みる。小説家はペンを通してだ。

ハイドン:弦楽四重奏曲第77番ハ長調作品76-3「皇帝」
アルバン・ベルク四重奏団

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという3つ楽器を媒介にし、4声で奏でるとてもバランスのとれた楽曲形式が弦楽四重奏。ハイドンはとても多作の作曲家で、弦楽四重奏は83曲、交響曲は104曲も生み出している。その全てが傑作というわけではないが、200年以上を経た今も脈々と聴き継がれている名作をたくさん残している。中でもこの「皇帝」カルテットは、第2楽章がドイツ国歌のメロディがテーマになっているので、殊に有名だ。美しい。

ところで、アルバン・ベルク四重奏団はこの曲を2度録音しているが、旧盤(1973年)の方が自然な音の流れといい精妙なアンサンブルといい格段上のように僕には感じられる。今は廃盤かもしれない。

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