アルバン・ベルク四重奏団のドビュッシー四重奏曲(1984.4録音)ほかを聴いて思ふ

革新を求めたドビュッシーは、これまでの音楽を忘れようとしていると宣言した。
捨て去れと。過去はきれいさっぱり忘れることだ。

第一歩となった弦楽四重奏曲。
独自、すなわちユニークであることに執着した(?)ドビュッシーの成果。
「自由でありながら、自らを律せよ」という、存在の本質がわかっていた彼には、それゆえに新たな境地の創造が可能だった。アルバン・ベルク四重奏団の、鋼のように鋭い感性で創出される、何とも柔和な音調に、言葉にならぬ幸福感を覚える。

非常に美しい構想というものは、かたちづくられつつある過程では、ばかものたちにとって滑稽に見える部分をふくんでいるのです・・・嘲笑いものにされているほうに、慧眼な運命によって用意された屠場へとおとなしく消えてゆく一群の羊みたいな連中によりも、ずっとたしかな美の希望があることを、かたくお信じなさい。
独自なままでいることです・・・世間ずれしないでね・・・—周囲の熱狂は、私に言わせれば芸術家を甘やかすことさ。彼がやがて周辺の表現でしかなくなるのではないかと、私はおそれてさえいるくらいです。
弱者にふさわしい老衰した哲学のきまり文句にでなく、自由のうちに、みずからを律する基準をもとめなければいけない。誰の忠告もきかぬことです。
「クロッシュ氏・アンティディレッタント」
平島正郎訳「ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏」(岩波文庫)P19

第1楽章アニメ・エ・トレ・デジデにも、第2楽章アッセ・ヴィフ・エ・ビヤン・リトメにも、暗い熱狂が心底に渦巻くのは世紀末ゆえか。あるいは、ドビュッシーの内なる官能の成す業か。弱音器付の第3楽章アンダンティーノ―ドゥースマン・エクスプレシフが飛び切り美しい。

・ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10(1892-93)(1984.4録音)
・ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調(1903)(1984.12録音)
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(第2ヴァイオリン)
トマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

一方、ドビュッシーが絶賛したラヴェルの弦楽四重奏曲。初演時、賛否両論ひしめいた問題作。しかし、100余年を経て見れば、モーリス・ラヴェルが天才であったことは自明の理。

モーリス・ラヴェルの名前は記憶すべきである。彼は未来の巨匠のひとりである。
(「ミルキュール・ド・フランス紙」ジャン・マルノール評)
アービー・オレンシュタイン著/井上さつき訳「ラヴェル生涯と作品」(音楽之友社)P52

水も滴る旋律豊かな第1楽章アレグロ・モデラート(この楽章は、パリ音楽院の卒業試験用に提出されたが、不幸にも落とされた)。懐かしさの極み。第2楽章アッセ・ヴィフ―トレ・リトメの喜び。そして、第3楽章トレ・ランの祈りの舞踏に感涙。さらに、咽ぶ終楽章ヴィフ・エ・アジテは、深い淵へと差す一条の光明の如く希望に満ちる優しさ。

曲は親愛なる恩師ガブリエル・フォーレに捧げられた。

 

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