シュヴァルツコップ クレンペラー指揮フィルハーモニア管 マーラー 交響曲第4番ト長調(1961.4録音)ほか

メルヘンがあっという間にミステリー(?)に変貌するという好例。
ミステリーと言っても決してホラーではない。第1楽章冒頭から重く、テンポは遅い。夢見るような軽快な音楽に遊びがなくなるとこうも真面目な音楽になるのかと思うと、指揮者の解釈というものが千差万別で、好き嫌いはともかく、名曲の器の大きさをあらためて知る。

グスタフ・マーラーの使徒たるオットー・クレンペラー。

三度目のヴィーン訪問は、わたしにとって決定的なものだった。第二交響曲のわたしのピアノ譜を携え、マーラーのところに行き、スケルツォを暗譜で披露した。わたしが弾き終えると、「どうして指揮者になりたいんです? もう立派にピアニストとしてやっていけるじゃないですか!」とマーラーに言われた。わたしは指揮者になるという揺るぎがたい願望を打ち明け、推薦状をいただけないかとお願いした。ところが断わられ、「そんな推薦状なんか、いくらでも偽造できる。でも明日、フォルクスオーパーの監督をしているライナー・ジーモンスのところに行ってみなさい。わたしが行かせたと言いなさい」と言われた。言われたとおりにしてみたが、無駄骨だった。わたしはまたマーラーのところに行き、「推薦状がないと、どうしようもありません」と言ったところ、彼は鞄から名刺を取り出し、そこに推薦文を書いてくれた。この名刺をわたしは今でも持っているし、それがあらゆる門戸を開けてくれた。こういう文面だった。
「グスタフ・マーラーは、クレンペラー氏を優秀にしてその若さにもかかわらず熟練し、指揮者の道を定められた音楽家として推薦いたします。当人を楽長として試されることは、よき結果を生むことをここに保証し、当人に関する詳しい案内をじかにお伝えする用意があります」。
彼はまさにわたしの「創造主たる精霊」だった。

E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P38

もちろんその才能をマーラーは認めていたからこそ推薦文を書いたのである。
独自のセンスで音楽に磨きをかけるオットー・クレンペラーの業。

マーラー:
・交響曲第4番ト長調(1900)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1961.4.6-8, 10 &25録音)
・「私はこの世に捨てられて」(1901)~「リュッケルト歌曲集」より
・「真夜中に」(1901)~「リュッケルト歌曲集」
・「この世の生」~歌曲集「子供の不思議な角笛」(1892-98)
・「私は仄かな香りを吸い込んだ」(1901)~「リュッケルト歌曲集」
・「美しいラッパが鳴りひびくところ」~歌曲集「子供の不思議な角笛」(1892-98)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1964.2.17-19録音)

交響曲第4番以上に素晴らしいのはクリスタ・ルートヴィヒ(当時35歳!)を独唱に据えた歌曲たち。
交響曲第5番の第4楽章アダージェットの先取りたる「私はこの世に捨てられて」の厭世的な、言葉にならない退廃美!! ここでのルートヴィヒの歌はこの世のものとは思えぬもので、マーラーの音楽の真髄を表出する名唱だと言える。


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