シェリングのバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(1955録音)を聴いて思ふ

パーフェクト!ただただその素晴らしさに拝跪する。
今年生誕100年を迎えたヘンリク・シェリングが1955年に収録したバッハの無伴奏曲集の、言葉にならない色気すら漂わせる崇高さ。モノラル録音であるがゆえの特性が活かされた最高の演奏であり、音盤であると僕は思う。

音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。
そこにおいては、魂が魂に話し掛けている。
(ヨハン・セバスティアン・バッハ)

たった一台のヴァイオリンが織り成す永遠。
時間が空間となり、空間がまた時間と一つになる瞬間の美しさ。

バッハの生涯は貧しい一市民のそれである。この困難で限られた哀れな生活ほど小説的でないものもなければ、これほどロマンティックでないものもない。大きな事件といえば学校での、或いはむしろ礼拝堂と言ったほうがいい場所でのみじめな争いであって、音楽の父ヨーハン・ゼバスティアンは、いくらか喧嘩好きで訴訟好きな、頑固なお人好しの役を演じているのである。
(ジョルジュ・デュアメル/尾崎喜八訳)
「音楽の手帖 バッハ」(青土社)P174

これほどまでに厳しい音楽が生み出されたのは、それほど現実的なバッハにあってこそだろう。シェリングの演奏は、バッハのそういう一端を見事に紡ぐ。

バッハには刹那への集中、しかも未知未聞の宏いはるけさによって結ばれた集中があり、真に全体への至上の展望を加味した刹那刹那の端的な充溢があります。近さとはるけさに対して同時に生き生きと目覚めた感情を備え、「ただ今」、「ここに」という奔放な充溢をもったバッハの音楽、構成に対し、全体の大きな流れに対して絶えず地層下的にはっきり意識した情操、「近さの体験」とともに「はるけさを聴く」感覚を織りまぜたバッハの音楽は、生理的なたしかさと自然的な力をかね備えた実例であり、かかるものは音楽の世界において、バッハを措いて他に例があるとも思われません。
(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芳賀檀訳)
~同上書P176

時間と空間を超えた一点、刹那にバッハはあり、また、その刹那は常に普遍だとフルトヴェングラーはいうのである。シェリングの無伴奏はまさにその体現。

J.S.バッハ:
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)(1955録音)

鮮烈な初々しさ!実にきれいな、また澄んだ音!
実直で真正面からの取り組みは、脱力の、音楽しか感じさせない一コマ。まさにバッハの言葉通り、バッハの魂が僕たちの魂に語り掛ける安寧のひととき。
僕は長い間、シェリング円熟期のステレオ録音を座右の盤に置いていたが、この初期の録音に出逢ったときの衝撃と感動は今でも忘れない。

 

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