カザルスのバッハ「無伴奏」、そしてレオンハルトのバッハ「フーガの技法」を聴いて思ふ

bach_cello_casals_opuskura653(少なくとも)一流の音楽には様々な感情が宿る。
そしてまた、そこには大自然を讃美する、大宇宙への信仰までもが刻印される。
聖俗混在する音楽は遍く世界をひとつにするのだ。
神々しいまでのバッハの音楽も、単に教会のために書いたものでなく自身が楽しむため、あるいは子どもの教育のために生み出されたもの多々。だからこそ多くの人々の心をつかむのだと思う。

カザルスの言葉に膝を打った。

私の考えでは、人はもっぱらバッハの宗教的な面に傾倒しすぎている。彼の多数の作品には熱烈な信仰が反映していることは事実である。この巨匠は誠実な信仰の人であって、その職業で教会に奉仕するように導かれた音楽家であった。それにもかかわらず、私は彼の音楽にただ宗教的感情だけを認めるというわけにはゆかない。それはまったく無理じいだ。宗教的霊感がすべてではない。われわれはこの合唱指揮者に暗示と響きの無限の音調を認めるべきだ。すなわち民衆の素朴な喜びや、通俗的な踊りや、優雅さ、芳香、自然への愛のこもった瞑想などである。
(ホセ・マリア・コレドール/佐藤良雄訳「カザルスとの対話―J.S.バッハをめぐって」)
「音楽の手帖 バッハ」(青土社)P62

なるほど、彼の演奏する無伴奏曲集にある人間らしさ、すなわち喜びや悲しみは、あるいは激情や安寧は、こういう思想のもとにあるからなのだとわかる。

・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲
パブロ・カザルス(チェロ)(1936-39録音)

もはや言葉はいらぬ不滅の録音(オーパス蔵の生々しい復刻が素晴らしい)。
カザルス以降数多のチェリストが挑戦し、多くの美しい録音が残されるが、やはり別格。
神である。

bach_kunst_der_fuge_leonhardtところで、晩年の、神秘的な作品とされる「フーガの技法」も少なくともレオンハルトの演奏を聴く限り、より親しみやすい、色々な感情の混ざり合った人間っぽい作品であるように思える。不思議に、とてもとっつきやすいのだ。

J.S.バッハ:
・フーガの技法BWV1080(1969.6.15-20録音)
・クラヴィーア練習曲集第2巻~パルティータロ短調BWV831 (フランス風序曲)(1967.11.3録音)
イタリア協奏曲ヘ長調BWV971(1965.9録音)
・前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調BWV998(1965.9録音)
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
ボブ・ファン・アスペレン(チェンバロ)

「間」や「タメ」の自由。光輝放ち、哀感溢れる「コントラプンクトゥス1」からレオンハルトの音楽に釘付け。続く「コントラプンクトゥス2」とあわせ、この寂寥感は一体どこから漏れ出るのか?あまりに素敵。そして、「コントラプンクトゥス3」での飛び跳ねる愉悦の妙。墨絵のような滋味深い音楽が色彩豊かに奏でられる様子にレオンハルトの天才を思う。

 

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