ブルラ ヴェンツァーゴ指揮スイス・ユース響 クララ・ヴィーク ピアノ協奏曲イ短調作品7(2022.10.29Live)

第1楽章アレグロ・マエストーソはクララが13歳の時に作曲したものだという。
ロベルトの協力を得て、3つの楽章が最終的に完成したのは1835年、クララ15歳の時だ。
シューマンとショパンを足して割ったような可憐な、しかし堂々たる作品。

オーケストラが沈黙しての、ピアノとチェロ独奏、そしてティンパニのみで奏される愛らしい第2楽章ロマンツェ,アンダンテ・ノン・トロッポ・コン・グラツィアが特別に美しい(とても純粋な音楽だ)。
ここには少女クララの慈愛の心が投影されるようだ。

ジュネーヴはヴィクトリア・ホールでのライヴ録音。
前期ロマン派の音楽らしく、作品の中には喜怒哀楽、あらゆる感情が蠢いている。
しかし、そういう愛憎含めた複雑な感情は目に見えない奥底に追いやられているのだが、そこにはロベルト・シューマンの知恵の影響があろう。

「ぼくの考えでは、こいつ自身の愛情の不足だな」ヒースクリフがいいました。「崩れちまって、つまらんお引きずりになっている! けたはずれに早くから、ぼくをよろこばせる気をなくしてしまった。だれも、てんでほんとうにはしないだろうが、結婚の式の翌日から、おいおい泣いて家に帰りたがったんだ。だがまあ、こいつがあんまりきれいでない方が、この家にはぴったりとくるだろう。ただ、家の外をうろついて、ぼくの面よごしにならんように、ぼくは気をつけることにしよう」
「何はあれ、ヒースクリスさん」と、わたしはいい返しました。「忘れないでほしいのは、奥さまは、いままでずっと、人に大事にされ、かしずかれてきて、ひとりっ子で育って、だれでもが、けんめいにお世話してきたということです。あなたは、この方の身のまわりをきれいにしたいなら、小間使をやとって、あなたも、やさしくしてあげてください。あなたは、エドガさんについてどうお考えになろうと、このかたが強い愛情の力を持っていらっしゃることは、疑えないでしょう。そうでなければ、どうして上品で安楽で、親しい人たちのいる元のお家を捨てて、こんなすさまじいところに、満足してあなたと落ち着いていられるものでしょうか」

エミリ・ブロンテ作/阿部知二訳「嵐が丘(上)」(岩波文庫)P246-247

エゴイスティックなヒースクリフの独壇場。
愛憎という二元論を超えるには、絶対真理そのものにリーチするしかないのだが、19世紀前半の時代においてそれはまったく叶わなかった。
クララもおそらくロベルトとの関係の中で愛憎様々な状況に陥っただろうが、そういうときの慰めは音楽だった。そんなことが感じとれる協奏曲だが、ブルラのピアノもヴェンツァーゴの指揮も残念ながらそこまで深くはない。
あくまで外面的な美しさに終始する。しかし、クララの作品がこうやって現代に蘇ることは素晴らしい。生きている甲斐があるというものだ。クララ・シューマンの命日に。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む